原発、沖縄の基地、コメといえば日本社会が抱えている大きな問題でありますが、この三つの共通点がぱっと思い浮かぶでしょうか?
補助金であります。
原発がある地域には電源三法交付金などを通じて極めて多額の補助金が国から支給されています。なぜでしょうか? 迷惑料という発想ではないかと思います。もともと条件が限られた土地で地元の過疎化などが進むところにご迷惑をかけるが、その見返りとしてこれだけのモノを差し上げるのでよろしく、という一種の取引にみえます。
本来であれば原発がなくなれば困る、という声は原発があるその地域から聞こえてきそうなものなのですが、遠巻きに見ている人たちの原発反対の声にかき消されてしまっています。福島第一原発のあたりにいた人たちは福島県の会津方面などにも移りましたが、そこのパチンコ屋が大流行になったという話はあまり聞かれないでしょう。
沖縄の普天間移設に関して政府は具体的日程を掲げることでそのプランを実行させる努力を見せています。辺野古の埋め立ての申請を国が沖縄県にすることで仲井真知事はその是非の判断を来年春ぐらいまでには行わなくてはいけません。正直、今回の判断は知事にとっても難しいところになると思います。
沖縄は振興措置法を通じてあり得ない額の補助金や交付金が国より出ております。2013年のその予算は3001億円であります。勿論、これは一年限りの話ではなく、毎年それなりの高水準の補助金が名目こそ違えども、他の都道府県にはないものが形を変えて拠出されているのです。
知事は、金は欲しいが、米軍施設は県外に、という論理的ではない発言を繰り返しています。結局のところ、知事の本心には沖縄県民という内向きの顔と知事という外向きの顔が交錯しているようにも見えます。
コメにまつわる補助金がなぜこれほどあるのでしょうか? 日本は歴史的にコメに対して特殊な感情をもち続けています。江戸時代、石高はコメに限りました。つまり、保存がきかない野菜ではだめでした。長男はコメを作り、次男以下は野菜などを作ります。つまり、コメは当時の税金であり、マネーの一種であったわけです。
時代が変わりカロリー自給論が主流となった戦後もまずはコメでした。日本人の食生活が大きく変わり、本来であればコメよりも小麦の消費がもっと増えたはずなのですが、コメを守ることにしがみつきました。もっとも、日本で競争力のある小麦を作るのは品種改良でもしない限り難しいはずですが。
原発、沖縄、コメ それぞれが抱えている問題は高い水準の税金の投入で支えているという事実であります。ではその補助金をなくすなり、減らすという発想は過去あったのでしょうか? 多分、役所にも貰う側にもなかったと思います。
補助金を貰うのが当たり前だとすればこの体質は一生変わることは出来ません。一部の前向きの人がいたとしてもその声は「和」の精神の中で絶対に表に出ることはありません。なぜなら、「お前は一人立ちできてもほかの大多数は出来ない」という状況の中で「お前は見殺しにする気か」というストーリーになるのだろうと思います。
とてもゆがんだ構造を作ったのは誰でしょうか? それは日本の脈々と続く特質なのです。
それを打破するには「厳しい優しさ」が必要なのだと思います。それは時としてNOを言い、突き放すことでもあります。和を大切にしながらも陰でぶつぶつ言うなら正々堂々と議論することも大切です。
日本の構造的問題とはこういうところにあります。日本は原発地域や沖縄やコメを作る農家を本気で救いたいのでしょうか、見方によっては金を払って問題を先送りし、放置したいようにみえませんか?
今だからこそこの体質に気がつき、国民が前向きに考える時期にあるのではないでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年4月15日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。