吉野家はアメリカ産牛肉の輸入規制緩和に伴い、牛丼を100円も安い280円とすることを決めました。一方、業績が冴えないマクドナルドは商品全体の価格バランスを見直し、地域による価格設定も取り込みながらハンバーガーやシェイクなどを値上げし、ポテトなどを値下げしながら全体で0.3%値上げすることといたしました。
デフレ脱却を目指す日本ですが、一般庶民の食の価格は果たしてどこに向かっているのでしょうか?
日本のスーパーマーケットに行くと違うブランドの同じ商品が並んでおり、それぞれ価格が違います。どれを選ぶかといえば、私は商品知識がないので価格が一つの選択肢になることは間違いありません。もし、商品の価格のところに名刺サイズ程度の商品説明なり、セールストークの一言があればその判断基準は違ってきたと思います。つまり、消費者の立場からすればどれを選んでよいかわからないから価格で選ぶ、という人は少なくないと思うのです。
売り手側からすれば広告宣伝を十分にやっているといわれるでしょう。しかし、ネット社会になり、広告は見なくなりました。テレビは見ないか、ドラマならビデオです。情報が飛び交い、忙しい日々を送っている人々にとってコマーシャルを見ている暇はありません。インターネットの広告も見る人はどれぐらいいるのでしょうか?
バンクーバーの酒屋は州政府直営店が多いのですが、その巨大な酒屋の主たる商品はワイン。ワイン好きならともかく、たまにしか家で飲まない私など膨大な数のワインを前にただただ迷うだけです。その時、唯一の助けになるのがところどころに貼ってあるプロの評価、あるいは、評価機関が行った評点が表示されていることです。結果としてそれらを参考に適当なワインを買うことになり、全くセールストークのないワインを手に取ることはかなり少ないのです。
消費者の中には消費行動が全く変わらないという人も多いと思います。同じ店でコーヒーを飲み、同じ店で食事をとります。中にはメニューすら見ずにいつものやつ、というスタイルの人も結構見かけます。はたまた、商品陳列を熟知した同じコンビニに行き、「いつものがない」と呟いたりします。なぜでしょうか?
正直、面倒くさいのです。
中華料理店にグループで行って「注文係」になると数ページにわたるメニューから皆が満足する5,6品を選ぶのは実に大変な作業なのです。だから、人は考えることを拒否し、いつもと変わったものを選ぶのを面倒くさいと思うのかもしれません。
吉野家にしてもマクドナルドにしても当たり前の店なのです。行く人は行くし、行かない人はまず行かない、という前提に立てば、行かない人を取り込む努力をすべきなのかもしれません。つまり、両者ともにいえるのは過去、価格をいじりすぎた、つまり、価格をマーケティングツールにしすぎたのです。行く人にとってみれば牛丼が380円でも280円でも行くのです。しかし、興味ない人は280円でも行きません。新たな客を取り込む努力とはブランディング戦略から入らねばなりません。その点、マックコーヒーは頑張ったと思います。あれでマックに新たなる客の流れを取り込んだと思います。
私は価格が全てではないと思います。商品、企業に対する消費者の持つ先入観はなかなか打ち破れないものだと思います。変えるのを面倒だと思っている人の気持ちを変えるのが価格戦略という時代は過ぎつつあると思います。ほんとの意味でのマーケティング戦略を考える時代になったのではないでしょうか?
今日はこのぐらいにしておきましょうか?
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年4月19日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。