本日のブログは学生2人と社会人1年目の青年との飲み会の内容なり。
感じるんだけどリーマンショック以後の学生とそれ以前だと明確に価値観が違うんですよね。オールドタイプとしては、時代の変化についていくべく必死です(笑)
なんて偉そうなとこから入っても飲み会でもり上がったのは、最近のアイドル事情なのですが(笑) 話題に上がったのはハロプロ勢(berryz工房、cute、モー娘。)、AKB、perfume、ももクロ、など。
とりあえず話の入りは最近のモー娘。は凄いよねっってとこから。最近のモー娘。はパフォーマンスがプロの域に達していて、アイドルという枠組みで捉えていいのか、という話でもりあがる。最近のモー娘。の曲とダンスのクオリティは圧巻。
じゃモー娘。とアーティスト枠に入ってしまったperffumeの違いは何か、って言うとこなのだけれど、端的に外形要件だけで判断すると意外なところで口パクが口パクじゃないかってところがある。一時代前だと、生歌こそプロ、って言う感覚だったのだけれどそこで「口パク」だからといって批判するのはお門違いで、perfume、っていうのは口パク(に近い声加工)が故にクリエイターに取って自由度高くプロデュースしがいがあるアーティストなんじゃないかと。
どういうことかというとpefumeは生で歌わないため音声的な制約が無く、柔軟にハイスペックなダンス機能をそなえた存在なので、クリエイターに取ってはデジタルな感覚で自由に好き勝手にプロヂュースできるのかなと。いわば初音ミクやアイマスに近い感じで、リアルに存在している超ハイスペックなソフトウェアといった感じ。バーチャルをリアルに持ち込んだような存在だからニコ動から火がついた。クリエイターに取っては本当に料理しがいがある素材のデジタルアイドルなんじゃなかろうかと。
逆にモー娘。はあくまでも男がリアルな女の子に望む願望を体現することをベースにしているのかなと。男が望む可愛い女の子像を体現するハロプロという枠のなかでハイパフォーマンスを披露してくれている。perfumeとは出発点が逆。道重やももちはリアルな女子に対する男の願望を演じるという点で、アイドル。
他方でAKBやももクロはストーリーを売り物にしている。秋葉原の小劇場からメジャーになる、路上から紅白に出る、そういう夢のあるストーリーを実現させる過程にファンを巻き込んでる。一代限りのストーリーで、持続性が無い。
AKBは個人の集合体を「秋葉からメジャーへ」というくくりでプロデュースしてスケールさせたわけで、本質的に統一したコンセプトが無い。だから代替わりしない。ストーリーの過程で優れた個人が選抜されて来たが、ストーリーが実現した今となっては長くは続かないスキーム。
ももクロはそこに上手く割って入った形でAKBがイマイチ気に食わないない層を、「路上から紅白へ」という体育会計的価値観を注入して、取り込むことに成功した。AKBがいてこそももクロが台頭した。モー娘。も昔は手売りから武道館というストーリーで売っていたがそこから脱却してハロプロという普遍的価値観を創り出した。
そしてそれを体現したのが「道重さゆみ」という存在。道重の存在にストーリーはない。あるのは男の願望をリアルに体現したという超越したアイドル性のみ。そういう意味じゃアイドルを松田聖子依然の「うんちはしない」的な原点に戻すという、原理主義的存在じゃなかろうかと。新しいようでとても古い。
なんて偉そうに述べて来たものの、単純にモー娘。が大好きという話でした(笑)
これだけモー娘。を熱く語った飲み会は初めてでした。ということで田中れいな卒業おめでとう!!!
ではでは今日はこんなところで。
編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年5月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。