『「空気」の構造』で日本の「失敗組織」の典型としてあげたのは、日本軍である。権限と責任の一致しない「まつりごと」構造の危険性が、ここには典型的に出ている。その特徴は最高司令官には実質的な権限がなく、その下の参謀が作戦を決める組織だ。参謀はアドバイザーだから責任はないが、彼が情報を把握して意思決定を行なう。さらに参謀本部の決定は各方面軍に丸投げされる・・・という入れ子構造になっていた。
こういう組織は、ふだんは意思決定が混乱して何も決まらないのだが、たまに独裁的な人物がリーダーになると、彼の「空気」に全員が引っ張られてしまう。その典型として半藤一利氏が『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』であげているのが、インパール作戦で有名な牟田口廉也である。
牟田口の特徴は、客観情勢より「必勝の信念」を重視する主観主義だった。1944年に入って戦況は悪化して補給は乏しくなり、冷静に情勢分析をしていると守勢に回るしかない。しかし日本軍はそういう「ジリ貧」をきらうので、短期決戦で一挙に挽回しようという「大胆な作戦」を立てる傾向が戦争末期ほど強まった。
当時のビルマからインドまで1000km以上も、兵站もなしに「現地調達」で9万人以上の部隊を移動させる作戦は、目的地に到達する前に多くの餓死者を出した。しかし牟田口は親しかった東條首相(兼参謀総長)に判断を求め、東條は「戦いは最後までやってみなければわからぬ」と牟田口を支持した。結果的には、戦死者2万6000人、餓死・病死3万人と戦力の半分以上が失われたが、牟田口は責任を問われず、戦後まで生き延びた。
ここで東條を安倍首相に、牟田口を黒田総裁に置きかえると、今回の「異次元緩和」とそっくりだ。黒田氏が10年以上ジリ貧を続けた金融行政にいらだつ気持ちはわかるが、それは日本経済の戦力が足りないからであって、短期決戦では挽回できない。戦局が手詰まりになるほど、「一発逆転」を主張する攻撃的な将軍が出世するのも日本軍と同じだ。
黒田氏が客観情勢を無視して「期待」を強調するのも、日本軍の主観主義の伝統だろう。日本軍の兵士の士気が高かったことは事実だが、武器も兵站もなしで戦争は勝てない。イギリス軍の戦力は2倍近く、しかも日本軍は戦車も馬も通れない高山地帯を通って移動する無謀な作戦が「必勝の信念」だけで成立するはずがない。
攻撃だけを考えて後方の補給を考えない異次元緩和は、インパール作戦と似ている。2年で2倍にするマネタリーベースは、緩和をやめるときどうやって回収するのか、という国会質問に、黒田氏は「出口戦略は考えていない」と言い切った。出口戦略は今FRBでも問題になっているが、バーナンキが縮小を示唆しただけで株価が暴落するため、撤退は困難だ。
すでに日銀のB/SはGDP比でFRBの2倍以上あり、もはや撤退の道は絶たれている。しかしB/Sを270兆円にもふくらませたら、世界的な金利上昇で1割の評価損が出ただけで日銀は債務超過になる。これは一般会計で資本増強できるが、その財源はどうするのか。一挙に15%も消費税を増税することは不可能なので、あとは「輪転機ぐるぐる」のハイパーインフレしかない。
日本の組織は全員一致でないと動かないので、牟田口のように暴走する指導者が出てくると、異論を唱える者は排除される。インパールでも作戦に反対した3人の師団長が解任され、イエスマンばかりになった。今回の黒田将軍の「インパール作戦」にも、9人の審議委員のうち6人が白川氏のときと同じなのに、全員一致で賛成した。
本来は金融政策決定会合でこういう暴走をチェックすることになっているのだが、牟田口のように東條の威光を背景にして異論を許さない将軍が出てくると、その「空気」に誰も抵抗できなくなるのも戦争中と同じだ。つくづく日本は変わっていないのだなと実感する。なぜこういう愚かな意思決定が繰り返されるのか、くわしいことは拙著を読んでいただきたい。