プリキュアでカウンセリングを呼びかけるべき

生島 勘富

前に、「プリキュアを好む」というのは、「幼児性的犯罪の必要条件」という話を書いて物議を醸しましたが、児童ポルノ法改正案を提出が提出されたことで、もう少し考えてみたい。


■児童ポルノ法で創作物の規制は止めた方が良い

橋下市長の「銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、猛者集団を休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる」発言で、従軍慰安婦・軍と性の問題が大問題になりましたが、性の問題はきれい事ではすみません。

性処理は誰にも必要なものです。

「成人に性的魅力を感じる人」にとっては、自由恋愛から創造物のポルノまで可能ですが、「幼児に性的魅力を感じる人」にとっては、創作物の児童ポルノは最後の砦で、それすら奪うのはあまりにも酷でしょう。
最後の砦すら奪ってしまったら、結果として、暴発する可能性を私は否定できません。

「幼児に性的魅力を感じる人」が存在することは、否定できない事実ですから、児童ポルノ法で創作物の規制は止めた方が良いと考えているわけです。

規制したいと考える人は、宗教観などから「とにかく嫌、あり得ない」と考える人もいますが、「児童ポルノによって、幼児に性的魅力を感じる様になるのだろう」「児童ポルノがなくなれば、幼児でなく成人に興味が向くようになるだろう」と「因果関係がある」と考える人も少なくありません。

私かく言うも、「性的嗜好は後天的についたものじゃないか?」と考えています。

例えば、幼児が好きだったという有名人にマイケルジャクソンがいますが、「先天的ではなく環境」が影響したと私は感じています。しかし、いずれにしても、マイケルジャクソンは児童ポルノに嵌まって、「幼児に対する性的嗜好」を持ったわけではないでしょう。

私は専門家ではないので、先天的なのか、後天的なのかは分かりませんが、「幼児に性的魅力を感じる人」は昔から存在していますし、「幼児に対する性的嗜好が児童ポルノによって形成された」という因果関係があるとは考えにくい。

因果関係はなく、代償行為に必要なものであるならば、規制する必要はどこにもないのですから、反対派としてそう訴えれば良いでしょう。

しかし、規制反対派は、因果関係の有無や、代償行為の必要性といった理由ではなく、「表現の自由」というきれい事を楯に抗議しています。これでは勝てるはずはない。

私は、もし、規制されれば、結果的に「子供が危険になる」と考えますので、きれい事の議論は止めて欲しいのです。

■プリキュアははもの凄い影響力

昨日、橋下市長の7歳になる娘さんが、橋下市長の携帯をハッキングして(苦笑)Twitterで「スイートスマイルプリキュア」とツイートしたことによって大騒ぎになりました。プリキュアはもの凄い影響力がある。

私はプリキュアは「幼児性的犯罪の必要条件」と言ってよい(比喩)と思っています。

「必要条件」を勘違いする人が多いのですが(まあ、多いと思って書いたのですけれど……)、「プリキュアを観る人は幼児性的犯罪を犯す」というのであれば「十分条件」であって「十分条件」とは誰も言ってません

プリキュアを観る人にいろんな人がいます。私に、もし、小さな娘がいたら一緒に観ていたでしょうし、映画館に一緒に行ったでしょう。もともと、制作者が成人男性をターゲットとして狙って作っているので、幼児に性的魅力を感じない人も多く取り込んでいるはずです。

「必要条件(比喩)」というのは、「幼児に性的魅力を感じない人」もプリキュアを観るかどうかは関係なく、「幼児に性的魅力を感じる人」は、ほぼプリキュアに釣られてしまうでしょう。ということを言ってるに過ぎません。
「必要条件とは言えない」というなら、「プリキュアなんて全く興味がないけれど、幼児には猛烈に性的魅力を感じる」という人が出てくるなら、反証できるのですけれど……。そんな比喩はどうでも良い。

「必要条件(比喩)」というのはプリキュアが好きな人には抵抗があるでしょうが、「児童ポルノ法改正案」に反対するならば認めた方が良いと思います。更に、私が主張するように、プリキュアで「大きいお友達はカウンセリングを受けてね!」って呼びかけるべきでしょう。

プリキュアを観ている層には、「児童ポルノ法で創作物の規制をさせたくない」と考えている人は非常に多いでしょうし、単に観ているだけの人から、成人にも幼児にも性的魅力を感じる人、幼児にしか性的魅力を感じない人もいるでしょう。更には、治療が必要な人もいるかも知れません。

プリキュアなら軽い呼びかけでも、「児童ポルノ法で創作物の規制をさせたくない」という人に届くし、統計資料を作ることができる専門家にも届く。つまり、非常に幅広い層の有意なデータが取れる訳です。プリキュアは事実上フラッグシップと呼べますから、プリキュアがその様に訴えかければ、同様に少女が出てくるアニメやマンガで、そのような呼びかけが一般化するのでは。

その呼びかけは、「これだけ気を遣っている」というアピールにもなりますし、「みんなでカウンセリングに行こう(調査に協力しよう)」という空気ができれば、今までにない調査ができ、水掛け論にしないための統計資料が作れるのではないでしょうか。
※ カウンセリングと言ってるのは、その内容がどうしても「性的」なことにならざるを得ないためです。

■ゾーンニング・レイティングは絶対に必要

私が幼稚園の頃は、スカートめくりが大流行していました。これは「ハレンチ学園」の影響が残っていたためです。

当時はおおらかだったので、幼稚園児なんて、水着や体操服に着替えるのに男女同じ部屋で素っ裸になって着替えてましたし、身体測定は男女ともパンツ一枚でお医者さんの前に並んで受けていました。そんな状態で、別にスカートめくりに意味なんてなく、どこかで見たことを真似しているだけです。やられた女の子が恥ずかしがるのが面白いからするし、女の子がスカートをめくられて恥ずかしいと思うのも、真似でしかないでしょう。

子供は意味を分からず真似をするものですから、児童ポルノが子供の目につくところにあるのは、絶対に避けなくてはなりませんが、そもそも、「児童ポルノを規制しよう」という動きが出るのは、「そんな物は観たくない」「子供に見せたくない」と思っている人にも目につくからで、「表現の自由」の前に、「観たくない人達」の権利を先に侵害しているということに気づくべきでしょう。

「観たくない人達」の権利を先に侵害したために、法規制すべきという話が出てくる。法制化するならばどこからが児童ポルノか、その線引きを文言で示すのは非常に難しい。ですから、どうしてもグレーゾーンを含んで大きく規制されることになり、例えば、アメリカではこんな過剰反応になります

日本でも「しずかちゃんの入浴シーン」など、どうでも良いことを気にする一方で、相も変わらず、日本橋や秋葉原の電気街は、子供や女性を連れて行くのを躊躇うほどのポスターや看板が街中にあるのを放置したり、抗議として安倍総理にツイッタのメンションでポルノ画像を送りつける輩もでてくる。

そんなことを「表現の自由」と言うならば認めるわけにはいかないのです。

「しずかちゃんの入浴シーン」を議論しないと行けない社会は馬鹿げているけれど、日本橋や秋葉原の状態や、安倍総理に送ったメンションが「表現の自由」として認められると考えるのは、もっと馬鹿げている。
「観たくない人達」、「子供に見せたくない人達」の権利を著しく侵害しながら、「表現の自由」を楯に争うなら、ポルノに限らずあらゆる規制に反対の私ですら、そんな馬鹿共の「表現の自由」は規制すべきと、言わざるを得ない。
多数決では到底勝てないですよ。

本当に「表現の自由」を守りたいなら、「観たくない人達」、「子供に見せたくない人達」の権利を守ること(ゾーンニング・レイティングの徹底)と、自分たちで「児童ポルノは犯罪の原因ではなく、犯罪の抑止力になり得る」という主張の裏付けとなる統計資料を作るべきなのです。
(もちろん、恣意的に作ってはダメですが……)

繰り返しますが、「表現の自由」では、「観たくない人達」、「子供に見せたくない人達」の権利の方が大きいと考える多くの人達を説得できません。「表現の自由」というきれい事では、「子供を守れ」というもっと「きれい事」に落ち着くのは、欧米を見ても明らかです(結果的に、子供を危険に晒す可能性が高い)。

しかし、ゾーンニング・レイティングを徹底し、「児童ポルノは犯罪の原因ではなく、犯罪の抑止力になり得る」という統計資料を作ることができれば、二度と規制しようという動きは出ないでしょう。時間は掛かるでしょうし、宗教上難しいとは思いますが、欧米にも理解を得られる可能性すらあります。

冷静に戦略を立てて動く必要があると思います。

とにかく、現状は、基本的に「規制はない方が良い」と考える人間にまで、「規制やむなし」と思わせるような事態になっていることに、早く気づいて欲しいものです。

株式会社ジーワンシステム
生島 勘富
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