橋下バッシングに見るマスコミの病理現象

大西 宏

マスコミに働いている人たちも多くが気がついているのかいないのかはわかりません。真相がどうなのかよりも、めんどうな議論よりも、世論がどう動くかを読みながら、また世論調査を行なって、黒白をつけ、世論の動きに乗り、勝ち馬になろうとする報道が気になります。テレビに登場してくるタレントやコメンテータも同じです。出演するタレントやコメンテータも、それによって自らの立場をよくしたいという欲望が抑えられないのでしょう。世論を読み、黒白をつけ、自らの正当性を演じる必要があるのです。


世論が大きく動く可能性を感じたら、その方向に論調を整え、さらに世論の動きを加速させるのですが、もっとも効果があるのは、誰かを悪者に仕立て上げ、「ほら、やはりこんなに悪者でしょ」とバッシングを繰り返すことです。生贄をつくりだすことほど、人々にとってわかりやすいものはありません。急いで黒白をつけずに、「いやあ、まだよくわからないのではないか」などと疑問符を投げかけるなどという面倒な議論は世間にうけません。

小沢問題でもそうでした。まだ裁判で決着がついていない段階でも、クロだと言い切ったマスコミやジャーナリスト、また間違った情報を電波に乗せ、扇動した人がいかに多かったか、その怖さを見せつけられたものです。小沢さんの主張や政治手法がどうかというのとも別次元の問題であったにもかかわらず、裁判制度を無視してマスコミがクロと裁き続けたのです。

その意表をついたのが、先々週の『たかじんNOマネー』で、橋下市長批判が展開されたにもかかわらず、視聴者からの電話アンケートの最終集計で、橋下発言に「問題有」が2011で「問題無」が7713と、橋下発言は問題ないと考える視聴者が圧倒的に多いという結果がでたことでした。もちろん調査方法としては、視聴者を対象としたもので代表性はありませんが、しかしマスコミが想定していた結果、そこに登場した人たちが想定していた結果とは真逆でした。

ローカルの大阪、しかも局としてはどちらかというとマイナーな局の番組で起こったことに過ぎませんが、それだけマスコミの橋下叩きに疑問を持っている人がいたという事実です。

橋下市長の慰安婦発言に関しては、慰安婦問題よりも、日本経済の再生にもつながっていく関西経済の立て直し、その中心となる大阪の再生、また政治の統治に関する点にもっと集中して欲しいという思いがありますが、とくに間違ったことを言っているとは思えません。

ただ橋下市長が主張するように、問題を直視し、歴史認識の共有を韓国とはかる努力を行うことが重要だという考え方と、韓国の批判をそのまま受け入れたほうがいいのかという考え方の違いであり、その外交的選択の問題でしょう。

しかしこれはいずれでも解決に時間のかかる問題です。とくに韓国は、李明博前大統領が、韓国国内の不満を抑え、国民の団結をはかるために、感情に訴えやすく、標的にしやすい日本を選び、竹島上陸と慰安婦問題などの歴史問題をもちだしたことが尾をひいているので、そうそう簡単に解決するとは思えません。

しかし、先週末の『たかじんNOマネー』で、出席した橋下市長の論戦に、なんらまともな反論ができなかった水道橋博士が番組の終わりかけに退場し、ジャーナリストの大谷明宏さんは受け答えがしどろもどろだったのですが、ネットを見ていると水道橋博士をまだ支持する人がいて驚かされます。橋下市長が嫌いだという感情がそうさせているのかもしれません。番組を見ていたので、感じたことをブログにまとめておきました。
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そもそもこの問題は、選挙前の安倍総理がその震源地で、橋下市長が生贄になったという構図です。その点を田原総一朗さんが書かれているますが、その通りだと思います。とくに日本の取材陣が、橋下市長本人よりも、海外メディアに対してしつこく取材していた姿が目に止まりましたが、こういった問題に関しては、ジャパンバッシングの急先鋒であるニューヨーク・タイムズの記者を取材してどうするのかと疑問に感じたものです。答えは最初から決まっています。どこまでもなにが議論されねばならないかではなく、橋下バッシングにむかうマスコミの姿には呆れ果てました。
「橋下叩き」を見て学習し、バッシングを逃れた安倍政権 | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト :
復興庁職員の水野参事官のツイートへの批判もそうでした。ブログを長年読んでくださっている人はご理解いただいていると思いますが、これまで官僚批判や、霞ヶ関が制度疲労を起こし日本の経済や社会の足を引っ張り始めているという指摘を行なってきましたが、今回の報道はあまりに一方的だと感じています。

確かに水野参事官のプロ意識の欠如や官僚の意識の問題は感じます。一般企業でクレマーから理不尽なクレームがあったとしても、クレーマーをツイッターで馬鹿呼ばわりはしません。

しかし、それを差し引いても、一方的でした。そのほうが世論に乗り易かったからでしょう。やはり官僚には批判的な態度をとることが多い藤代さんが、報道のあり方に疑問をながかけていらっしゃいます。
復興庁職員のTwitter暴言騒動、報道に問題はなかったか(藤代 裕之) – :

現代はどの問題をとっても複雑なものばかりです。感情で判断するということもあるでしょうが、感情では解決できない問題が多いのです。また書評を近々書かせて頂きますが、佐々木俊尚さんが「レイヤー化する世界」で示されているように、現代はこれまでの「国家」という枠組みすら揺るがす変化が起こってきています。
そんな時代は、議論を深め、ほんとうの問題の焦点はなになのかを見極め、判断することがより賢明な選択を生むのだろうと感じています。思い込みや感情ではその問題の焦点は見えてこないはずです。また、そう感じている人が多いから、紋切り型で一方的に情報操作するマスコミを補完するように、ネットの論壇が生まれてきたのだと思います。

さて元に戻ると、安倍総理は田原総一朗さんがおっしゃるように、橋下市長で救われたということを感じますが、私自身は、安倍総理の歴史認識と橋下市長の歴史認識にはかなり根っこで違いがあると感じています。共通しているのは、いわれなき誹謗中傷は受け入れてはいけないということぐらいでしょうか。いちど右とか左だという色眼鏡を外して見てみれば、それが見えてくるのではないでしょうか。