6月16日は「父の日」だ。父の日の由来を辿りつつ、私自身の父親観、そして河合隼雄とラピュタの主題歌とストーリーをヒントに、「父親の役割」とは何か少し考えてみたい。
父の日の由来はアメリカにある。南北戦争復員後、妻を亡くし、その後に6人の子どもを男手1つで育てた父親を讃え、その娘である女性が教会の牧師にお願いして、父親の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。その翌年の1910年に、最初の父の日の祝典が牧師協会によって行われ、その後いくつかの段階を経て、1972年にアメリカで正式な国の記念日に制定された。父の日は国によってその由来や日にちが異なるが、日本もアメリカと同じ第三日曜日であることから、アメリカの影響を受けたということだろう。
こんな由来なんて実はあまり知らなかったわけだが、話を知ってみて、自分の父親にどこか似た境遇だったように思う。私は5人兄妹だが、12歳のときに母を亡くし、以来、父は男手一人で5人の子どもを育てた。上が17歳、下が9歳の全員が成人する前だ。母が他界してから、父は食事など家事をするようになった。それまでほとんどやってこなかったわけだがら、決して褒められる腕前ではない。さらに裕福でもなかった(ストレートに言えば貧しかった)ので、買える食材も限られていた。毎食のように茶色一色のよく分からない料理が一品だけ出され、一皿に盛られたその「料理のようなもの」を兄妹で競い合うように食べていた。見た目はイマイチだったけど、味は悪くなかった。
それでも一番嫌だったのが、父の作った弁当を持っていくことだった。例の茶色一色料理がおもむろに盛られただけの弁当は、さすがに思春期真っ盛りの少年には恥ずかしかった。友達に見られないように腕で隠しながら、かけこむようにして急いで食べた。世界で初めて「父の日」を創ったアメリカの女性も、そんな思い出を持っていたのだろうか。
最近、妻が出産し入院していたため、園に通う子どもたちの弁当を作った。自分が父親になり弁当を作ってみることで、はじめて当時の父の気持ちが想像できた。弁当は嫌で嫌でしかたなかったが、今になって、男手1つで5人の子どもを育てあげてくれた父に心から感謝している。
私が父から学んだことは、母(妻)を愛することと、信念を大切にすることだったと思う。それ以外はほとんど放置され、経済的にも苦しい生活を強いられたし、勉強がどうとか、生活がどうとか何も言われた記憶がない。ただ、人生の進路を決める際には父が強く厳しい助言をし、それに対峙するかたちで私自身の信念を試されてきた。
ユング心理学の第一人者、河合隼雄は『父親の力 母親の力』のなかでこう語っている。
「ほんとうに強い父親というのは、子どもに対して、『世間がどうであれ、自分の道を歩め。おまえのことはおれが守る』ということでなければならないのに、日本の父親は、『世間の笑いものにならないように』などと、世間の代弁者になってしまっています。」
「世の中に、こういうものがベストだというような答えはありません。家族の形態とか結婚の形態にしても、これが理想型だなどというものはありません。自分がほんとうに生きていること、あるいは自分はこう生きたということが重要なのです。そのかわりに、そう言うからには、責任をとる覚悟をしておかなければならないでしょう。それが『父としての威厳』につながります。」
父親の力 母親の力―「イエ」を出て「家」に帰る (講談社+α新書) [新書]
また、日本人の多くが知っている歌にこんなのがある。
「父さんが残した熱い想い、母さんがくれたあの眼差し」
そう、宮崎駿の不朽の名作映画「天空の城ラピュタ」の主題歌「君を乗せて」だ。学校の音楽の授業でも歌われる(少なくとも私のときはそうだった)ので、国民的な歌だといってもよいだろう。この歌詞はもちろん映画ラピュタのストーリーとも連動している。主人公のパズーは両親を失った孤児なわけだが、その父親は冒険家で天空の城ラピュタを発見したと主張したものの、パズー本人の言葉を借りれば「お父さんは嘘つき呼ばわりされて死んじゃった」のだ。その後、シータが持っていた飛行石に驚くポム爺さんの話を聞いて、「ラピュタは本当にあったんだね!お父さんは嘘つきじゃなかったんだ!」と喜び叫び、ラピュタを探す旅が始まる。天空の城への旅は、「父さんが残した熱い想い」を引き継ぎ、「お父さんが嘘つきではなかった」ことを証明するための旅だったわけだ。
極端で幼稚かもしれないが、私はこのラピュタの歌詞に「父親の役割」が凝縮されているような気がする。父として子に残すべきものとは何だろう?
生きていくのに十分な財産だろうか?
職に困らないだけの質の高い教育だろうか?
それとも世の中でうまくやっていくための躾だろうか?
もしかしたら、その全てかもしれない。しかし、もしどれか一つと言うなら、パズーの父親のような「熱い想い」なのではないだろうか。もちろん、自分よがりの「熱い想い」だけでは子どもに伝わらない。子どもに伝わるだけの親子の信頼関係があってこそだろう。
子どもに「熱い想い」を残して死ねるか。ただいま父親4年生、まだまだ学ぶべきこと、挑戦すべきことが多い。
学びのエバンジェリスト
本山勝寛
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@k_motoyama
「学びの革命」をテーマに著作多数。国内外で社会変革を手掛けるアジア最大級のNGO日本財団で国際協力に従事、世界中を駆け回っている。ハーバード大学院国際教育政策専攻修士過程修了、東京大学工学部システム創成学科卒。アゴラ/BLOGOSブロガー(月間20万PV)。1男2女のイクメン父として、独自の子育て論も展開。著書『16倍速勉強法』『16倍速仕事術』(光文社)、『マンガ勉強法』(ソフトバンク)、『YouTube英語勉強法』(サンマーク出版)、『お金がなくても東大合格、英語がダメでもハーバード留学、僕の独学戦記』(ダイヤモンド社)など。