高校野球は体罰文化 --- ヨハネス 山城

アゴラ

ワシ、基本的に夏が好きや。風物、行事、食い物、そしてビール、堪えられんなぁ。そやけど、ひとつだけ、鬱陶しゅうてかなわんものがある。高校野球や。あれだけはなんとかならんのかなぁ。

何も、国民的球団阪神タイガースに不利やからやめてくれてな、ケチなことを言うつもりは無い。だいたい、最近は甲子園を明け渡すころには、来年を目指す秋季練習シーズンになってることもようあるがな。

そやけど、とにかく高校野球。あれは鬱陶しい。最近こそあまり言わんが、「汗と涙」かいな。確かに、「汗をかきかき夏の富士山」とか「感動巨編で思いっきり涙」というのも悪くはない。さわやかと言ってもエエと思うが、それは自分の汗や涙の話や。


アカの他人の汗や涙をやたらと愛でるのは、ワシに言わせたら変態の第一歩や。汗と涙の次は、血と黄金水を求める方向行きかねない。球児ラブのおばちゃん軍団なんか見ていると、なんや心配になってくる。

真夏の炎天下で、将来ある若者を走り回らせ、フラフラにして喜ぶ。これかて相当、アブない文化やな。世界中のどんな体育の教科書にも、こんな運動の仕方が体にええ、とは書いてないはずやけどな。

高校野球は教育の一環とは、よう言ったもんや。ここ30年ほどの夏の優勝投手で、大成したのは、桑田と松坂ぐらいやろ。どちらも、高卒選手にしては、数字を残してないように見える。肩は消耗品なんやな。プロ入りの時点でかなり使い減りしている。

幼児向け教室からプロのクラブチームまで、計画的に教育することを考えているサッカーの世界とは、えらい違いや。

そやから、プロのスカウトによっては、これはという選手に目を付けたら、そっと「予選、早めに負けておけよ」と耳打ちするという話がある。現役部員へのプロの接触やら八百長の教唆やら、ひどい話のようやけど、大会でろくな健康管理もせずに、次々と肩や肘を壊す高校生が出てくることを考えたら、このスカウトと高野連とどっちが教育的なのか、悩むところや。

考えてみれば、高校野球ほど教育的でないスポーツ、他にないで。一球投げるんでも、一振りするんでも、ベンチの顔色をうかがいながらやる。自分で考える習慣のある高校生にはさぞかし苦痛やろ。これで、自主性が育ったら奇跡や。

そのせいか、Jリーガーと比べて知的な印象のプロ野球選手は少ない。指導者となるとさらに差が拡がる。そのあげくが、今回の体罰騒ぎや。

高校野球部の9.7%が体罰について「指導する上で必要」と答えていたと、日本高校野球連盟などが2013年6月20日にアンケート結果を発表した。

はっきり言って、ワシあきれた。1割も「けつバット」コーチがいるということにやないで。こんなことをアンケートにする、頭の悪さにや。アンケートというのは、受ける人間に選択肢のある問題について聞かないと意味がない。体罰の善悪について「これから議論しよう」という構えや。そやから、体罰を今すぐ根絶しようとしている団体がこんなアンケートをしたら、本気度を疑われる。しかも、答えさせておいて、その結果を高野連自ら嘆くって、どういうことや。

アンケートという以上、「正解」はないはずや。「体罰は指導上必要(だから、条件次第で容認されるべきで、刑法上の暴行や傷害には相当しない)」という意見も、採否は別として表明すること自体は非難される理由はない。

逆に、「体罰は連盟として容認できないから、それを支持しない学校は連盟を脱退して、野球部を解散するか別の組織を作ってください」という方針なら、ややこしいアンケートなどとってはいかんはずや。

自由に意見を言わせておいて、あとで文句を言う。橋下市長が府知事時代に府庁でやった手法で、体育会文化の産物と言われても仕方ない。もちろん体罰の温床そのものや。特に、一球一打に監督の顔色を伺う高校野球文化を、過去の産物とはっきり認識して、棄却する明確な意思表示をせん限り、体罰の根絶など出来る訳が無いと思う。

まあ、そんな器用なことを連中がする前に、プロ野球の各球団がJリーグを真似て、サテライトチーム中心の育成組織を作り始めたら(一部そういう動きがあるらしい)、一気に高校野球の変革が進むやろう。プロになりたい子供は、高校ではなくサテライトチームにスカウトされるようになり、高校野球のほうは純粋の部活動になる。要は、今の軟式の組織に近い存在になると思う。

プロを目指す少年にとっても、趣味で野球をやりたい高校生にとっても、むしろこのほうがええと思うがのう。

ヨハネス 山城
通りがかりのサイエンティスト