週刊文春がネット上で行った「安藤美姫選手出産アンケート」が批判・問題視され、同誌は編集長名で謝罪してアンケートを削除しました。これについては、アンケートの設問自体がありえない、と猛攻撃を受け、編集長の謝罪は相手を間違っている、子を産んだだけでとやかく言われるなら少子化の解決など論外、と大炎上しています。
そもそも疑問なのは、どうして週刊文春はこんな「批判されることが容易に想像できる」バカげたアンケートを実施しようとしたんでしょうか。同誌は「出産」や「働きながらの子育て」を否定しているんでしょうか。
安藤選手の出産はマスメディアを大きく賑わせていますが、その興味の大部分は「父親は誰か」ということでしょう。これについては単なるピーピングトム的な野次馬趣味に過ぎず、父親が誰であろうと他人がとやかく言うことではない。出産を報告した安藤選手に対し、マスメディアやネット上の住人たちは祝福するのもそっちのけで「父親探し」に躍起。週刊文春も熱心に「父親探し」の取材をし続けています。
一方で「ママさんアスリート誕生」に対し、当初は各界から歓迎する声が上がっていました。安藤選手は、子育てをしつつソチ五輪の出場を目指す、と宣言しています。競技のブランクもあり強化選手にも選ばれていない現在、これはかなり高いハードルです。しかし、下村博文文科相や日本スケート連盟も応援したようですし、子育てをしている親たちの励みになる、という一般からの意見も多かった。
やや風向きが変わってきたのは「未婚の母が競技を継続できるのか」という視点から特に巨大掲示板などのネット上で話題になったころからです。シングルマザーが仕事をしつつ子育てをするのは難しい、子育てと競技をなめるな、といった批判もありました。週刊文春は、この流れを過大に評価し過ぎた。
現状の日本には多くのシングルマザーがいます。他者の人生に対して寛容な社会になってきたとはいえ、まだまだ「未婚の母」に対する偏見も多い。「できちゃった婚」という言葉があるように、婚姻と出産はセットで、という社会的な圧力は強いでしょう。
経済面でもシングルで子育てをするのは父親だろうが母親だろうが大変です。反面、政治や行政、そして社会の支援はあまりにも弱く少ない。未婚の親の子育てに対し、今の日本にはこうした大きな矛盾や偏見がある。同時に、ネット上の匿名掲示板には、この問題に限らず、矛盾や偏見がむき出しに噴出する土壌があります。
また、ネット上には「週刊文春は最後までアンケートを続け、結果を公表すべきだったのに」という声すらあります。その結果は安藤選手への批判票が多数を占めたかもしれない、それならそれが今の日本の現状であり現実を直視することで解決の糸口が見えてくるはずだ、という考え方です。
中止された今、アンケートの結果はわかりません。しかし、安藤選手への批判票がひょっとすると多数を占めるかも、とかなり確度高く予想できること自体、幸福な他者や弱者に対する視線が厳しい社会になっていることの表れです。
たとえば、生活保護受給者の問題は象徴的です。肩身の狭い思いをしなければ彼らは行政から支援を受けられなくなっている。その理由は、ごく少数の不正受給は論外としても、一部政治家やネット住民から生保受給者への攻撃が激化していることも原因の一つでしょう。しかし、その声はけっして多数派ではありません。
売れ行きや視聴率に一喜一憂するマスメディアは「社会の鏡」のようなものです。週刊文春が「うっかり」今回の炎上アンケートを実施しようとしてしまった背景には、幸福な他者への妬みや弱者に対して冷淡な読者の「ムード」がある。ムードを「要望」と書き換えてもいいかもしれません。
SNSや掲示板が影響力を増し、新聞やテレビ、週刊誌などの既存マスメディアは、ネット上の情報からかなり大きなバイアスを受けるようになっています。いったい何が本当の「声」なのかわからなくなっている。他山の石としつつ、週刊文春は巨大掲示板の論調を読者の「要望」と勘違いしてしまった、というのも今回のアンケートの動機だったのではないかと想像しています。そしてこれは、とかく「忖度」に傾きがちな我々が踏み外しやすい陥穽なのかもしれません。
アゴラ編集部
石田 雅彦