昨年末にKindle Paperwhiteを購入してから、原書を読む機会がとにかく増えた。それによって、私自身の情報の追い方が劇的に変わろうとしている。
■KindleとTEDが変えた原書の読書習慣
私には留学経験がないため、集中的に英語教育を受ける機会を得ることができなかった。英語をマジメに学習するようになったのは、頻繁に海外取材にいくようになった30代に入ってからだ。そのため、原書の読書は、辞書を頻繁に引きながら、必要な部分だけを拾い読みする形が多かった。
論客や研究者として誰が重要な存在なのかは、TEDを通じてかなり把握できる。TEDの講演内容は、登壇者の研究の短いイントロダクションになっていることが多い。私自身が関心を持つ分野の登壇者をAmazonで検索すると、大抵ヒットする。その最新の著作の内容の把握につとめるようになっていた。しかし、原書を読むほどの力はなかった。
しかし、日本語に対応したKindleの登場は、状況を完全に変えた。辞書が搭載されているため、わからない単語が出てくると、その場でクリックするだけで引ける。これが圧倒的に便利で、自分が持つ知識に近い分野では抵抗感なく、読み進めることができる。ちなみに、辞書はディフォルトで搭載されているものは、語彙数が少なすぎるため、「Kindle Paparwhite」で利用できる「英次郎MOBI」を購入しインストールしている。192万項目をカバーしているため、大半の単語はカバーされている。
■原書を調べることで把握しやすくなった世界像
最近、私が追いかけ始めているのは、アメリカを中心とした「テクノユートピア主義」と、それに疑問を呈する人たちとの相剋だ。
テクノユートピア主義は、レイ・カーツワイルのシンギュラリティ(技術的特異点)に代表される考え方だ。コンピュータテクノロジーとバイオテクノロジーの急激な発展が、人類の姿を大きく変革させ、2045年頃には人間とコンピュータの本格的な融合が始まり、不死となった新しい人類を生みだすという超楽観的な未来予測だ。
実際、カーツワイルは、08年にテクノユートピア主義の世界を現実に生みだすための人材を育てることを目的としたシンギュラリティ大学をシリコンバレーに設立している。グーグルの創設者ラリー・ペイジは、熱狂的な信奉者で、設立のために資金援助を行っている。扱う分野は、コンピュータやバイオのみならず、医療、エネルギー問題など幅広い世界全体が抱えている課題を、技術の発展により解決することを目指している。
この大学の考え方の基礎を理解する書籍として、この大学のChairmrmanのPeter H. DiamandisとSteven Kotlerがまとめ、12年2月に発売された「Abundance: The Future Is Better Than You Think」が出版されている。幅広い分野にまたがるテクノユートピア主義を論じている本だが、現状、訳本が出るのかはわからない。
私自身は、最近、テクノユートピア主義は「アメリカ的な新しい宗教」だと考えるようになってきている。その例が、09年のカーツワイルの「Transcend: Nine Steps to Living Well Forever(超越:永遠によりよく生きるための9のステップ)」(※注)だ。65歳のカーツワイルは、シンギュラリティの時代が来るまで生き残ることを本気で目指している。彼はその時代まで生き残るために、徹底した生活管理をしており、それを紹介する本で、他に類似の本も出しているが、さすがに邦訳は来ないだろう。そして、ハードカバーだと絶対に買わない本だ。
■追いやすくなった議論のコンテクスト
一方で、グーグルやスマートフォンのような技術発展が押し進めるテクノユートピア主義が引き起こす世界変化に疑問を投げかけている重要な書籍も次々に発表されている。英語圏を中心に、論戦は続いている。
反テクノユートピア主義の急先鋒のNicolas Carrは「The Shallows(薄っぺらさ)」(邦題『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』)を11年に発表し、徹底したグーグル批判と人間の脳がいかに影響を受けているかを論じている。
Carrはペーパーバック版の「あとがき」で、続く書籍としてWilliam H. Davidow 「Overconnected」(邦題『つながりすぎた世界』)、ロシア人が執筆したEvgeny Morozov 「The Net Delusion: The Dark Side of Internet Freedom(ネットの誤った考え)」(未訳、大著であることもあり訳されるか微妙)、Sherry Turkle「Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other」(未訳)を挙げるなど、関連書籍との関係性も明瞭だ。しかし、重要と挙げられている2冊の書籍が、まだ未訳なのは、この分野の理解の障害となっている。
また、これらの議論がつながって動いていることも、原書に当たることで把握しやすくなった。過去の経験では、邦訳はあるが、『ネット・バカ』というタイトルのように、これまでは、その書籍が、他の書籍と比較しての位置付けや互いがどんな影響を受けているのかがわかりにくいケースも少なくなかった。もちろん、これは苦労が多い訳書を売るための工夫であることは理解できるのだが……。さらに、重要な書籍でも出版社によっては早々に絶版になったり、読みにくい形で分冊されたり、異様に価格が高かったりと、重要な訳書が読みにくいことも多い。
■ニュース記事から原書へ、下がっていく英語読書のハードル
一方、Kindle版の原書は、ほとんどの本が10ドル前後のため、片っ端から購入しても大した金額にならず、「サンプル送信」でも書籍全体の10%程度が自動で配信される仕組みになっているため、購入前に全体の概要を理解しやすい。もちろん、辞書のサポートがあるとは言え、まだ私が慣れていないため、読む速度は訳書よりかなり遅い。しかし、直に原書からくる読書体験は強烈で、著者の思考が真っ直ぐに入ってきて、世界の感じ方が変わって来ている。そして、目の前に膨大な量の関連書籍の山が存在していることも知るようになった。
私にとって、語学が壁になって今までできなかった、世界で動いている「知」の流れをタイムラグなしに、追いかけることができるようになった意味は大きい。原書を読むためのハードルが、電子書籍リーダーによって下がったインパクトは、今後、多くの日本人にも大きく影響を与え始めるだろう。ニュースはすでにタイムラグなしに、比較的簡単に読めるようになっているが、今度は、書籍にまで広がろうとしている。それは、留学の機会を得られなくとも、好奇心旺盛な人々の世界の見方もだんだんと変えていくだろう。
(※注)現在、Kindle版は一時配信を停止している模様
新清士 ジャーナリスト、作家 @kiyoshi_shin
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めるまがアゴラにて「ゲーム産業の興亡」を連載中