フロリダ州の住宅街で昨年2月に、元自警団員のジョージ・ジマーマンが、丸腰の黒人少年トレイボン・マーティンを射殺したという事件がありました。日本から見るとアメリカの銃社会で起こるべきして起こったとしか見えない事件です。しかしこの裁判は全米の注目を浴びていました。事件後にジョージ・ジマーマン被告はすぐに釈放されたのですが、人種差別だという抗議の運動が起こり、さらにソーシャルメディアやメディアにも抗議の渦が広がり、ジョージ・ジマーマンが起訴再逮捕されるにいたったという経過があったからです。
地元の陪審団が下した判決は無罪です。焦点は正当防衛だったかどうかでしたが、黒人への差別だと憤る人も多いようです。
MRRSHの記事のように黒人差別がこの事件の根っこにあるという見方が多いのかもしれません。
ジマーマン無罪か。黒人差別が生んだ正当防衛事件 :
この問題は、黒人側に立たないと理解できない。
黒人側としては、見た目で犯罪者扱いされ、自己防衛を理由に殺されることに納得がいかないからだ。
「銃が奪われそうでこわい」と思い、過剰な恐怖心で銃を撃ってしまったのなら、それこそ黒人差別でもある。
白人ならば、たとえ殴り合いになったとしても、「銃を奪われて殺される」とまで思わなかった可能性もある。ジマーマンは彼を見つけたとき、町を荒らすドラッグ・ディーラーか何かではないかと決めつけ、警察に通報した。
しかし、マーティンはコンビニに飲み物を買いに行っていただけだった。ジマーマンは無罪だ。
しかし、ジマーマンは悪い。
マーティンは彼に殺された。それが事実だ。
この事件を扱った記事でもっともよかったと感じたのが、ウォール・ストリート・ジャーナル紙のこちらの記事です。
ある殺人事件にみる米社会に巣食う「固定観念」の怖さ – WSJ.com :
まず、イメージの怖さです。「フードをかぶっていたので怪しく見えた」というジマーマン被告の主張に抗議し、フードをかぶって同被告の再捜査を求めるニューヨーク市議会の議員グループの写真がありました。この時のデモで掲げられていました。
当時、デモで見たマーティンの写真は、10代前半ぐらいかと思うような黒人少年の写真だった。それに比べて、ジマーマンの写真は、頬が首に埋まっているがっしりした白人の顔だった。事件の様子を知らずに、デモでその写真をみるだけで、「黒人の人権運動のころのように、白人が黒人を差別して殺害した」と思わせるに十分だった。
この写真を見れば、マーティンはいかにもあどけない少年です。しかし、マーティンの写真は数年前のものでした。ヒスパニック系で太っているジマーマンはいかにもマッチョな感じです。ジマーマンも若いころの写真です。
しかし、もしタバコかマリファナかわからないですが煙をくゆらせているマーティンとヒゲを剃って法廷にでたジマーマンを比べればどうかです。しかもマーティンは、過去に薬物所持や宝石窃盗の疑いで、高校を3回も休校させられていたことも明らかになっているようです。
そしてこの記事は、事実かどうかよりも、思い込みで判断する怖さをも指摘しています。
再捜査に至ったプロセスは、「黒人差別」という見方と、「白人なら黒人差別を背景に黒人を殺害する可能性が高い」という、白人をステレオタイプに見る、二つの「固定観念」が、メディアや世論を動かした経過といえる。
しかし事実は、ジマーマンもヒスパニック系のマイノリティで、かならずしも「白人」対「黒人」というものではないにもかかわらずです。
丸腰にもかかわらず銃殺された事件といえば、かつて起こった日本人留学生射殺事件を思い起こします。1992年に起こった事件ですがご記憶の方も多いと思います。ハロウィンでパーティに出かけたものの、訪問しようとした家を間違えて別の家を訪問したため、侵入者と間違われ、「フリーズ」と警告されたにもかかわらず「パーティに来たんです」と説明しながら前に進んだために、至近距離から発砲され死亡した事件でした。この事件も無罪判決となっていますが、この時に全米で抗議が起こったということはありませんでした。日本人留学生射殺事件 – Wikipedia :
さて現代は、ビジネスでも、政治でも、社会のなかでも、単純に割り切れない複雑な問題、あちらをとればこちらがたたずといった問題が山積みしています。しかも新しい課題、これまで経験したことのない問題も多い時代です。
それだけにイメージ操作や、固定観念で問題を単純化し判断しようという誘惑も、またそれによって判断が影響してしまうリスクも増えてきています。
判断を急がず、一息飲んで、事実はどうなのかに視点を向けるということが現代には求められてきているのではないでしょうか。すくなくとも、ソーシャルメディアやビジネスの世界で求められてきている大切な資質だと感じます。