候補者となって選挙を戦うことに意義があることは間違いないがそれでも選挙は変えるべき!

田村 耕太郎

候補者をやたら消耗させるような日本の選挙のやり方は改善すべきだが、候
補者となって選挙を戦うことに意義があることは間違いない。それまでのサラ
リーマンや官僚という経験では得られないような経験を積める。候補者となり
街頭に出て、受ける批判も応援も得難い経験であることは間違いない。何かを
背負って矢面に立ち、いろんな立場の人と出会うことは時に感動を与えてくれ、
時に厳しい経験となる。

 私自身も、それまでのサラリーマン経験では得られない感動や屈辱の連続で
あった。トータルでは圧倒的に感動の方が多かった。

 私は政党からの公認を断り、わざわざ敵に回し、当選まで無所属で通したの
で、各政党からかなりきつい批判や、その政党支持の組織から妨害まがいの行
為も受けた。家族も支持者も商売の邪魔にはなっても、プラスはなかったであ
ろう中を、必死に耐えてくれた。

 街頭で面罵されたこともあったし、長い付き合いの人がしがらみから敵にま
わってしまい心が傷ついたこともあった。家の前にゴミをまかれたこともあっ
た。

 一方で、いつも何があっても辻立ちや演説会に足を運んでくれるおばあさん
やおじいさん、政党のしがらみがあるのに、応援に回ってくれた経営者からい
ただいた感動の言葉は今でも忘れられない。選挙に出ていなかったらあのよう
なシーンに出会えなかっただろう。

 暑い中、選挙カーを追いかけて、差し入れをくれる無縁の支援者もいた。選
挙カーが近づくと窓をあけて駆け寄ってくる人々。無所属で力のない私を応援
しても何もないのに、応援してくれる市井の人々との出会いは感動的だった。

 選挙に出たから得られた感動体験は今でも忘れられない。負けた時でも彼ら
から頂いた言葉や行為は胸に焼き付き、心の支えになった。その後の人生でも
選挙に出た経験は大きな糧になった。

 選挙はリーダーになるためのトランスフォーメーションプロセスなのだと思
う。選挙で覚醒する候補も多いと思う。ただ、選挙のもっと大きな意義は、
日本を担うに足る素晴らしい人材の選別にある。できるだけ優秀な人材の
必要のない負担が増えない制度にすべきである。

日本の課題は高度複雑化してきていて政治家はもっと腰を据えて勉強
しないと対応できないのだ。選挙も国会ももっと政治家に心と時間
の余裕を与えるべきだ!

今後も選挙改善策について具体的に語っていきたい。