「保守」か「革新」か? 「タカ」か「ハト」か?

松本 徹三

日本語には不思議な形で定着している言葉が色々あるが、「保守」と「革新」はその最たるものではないだろうか? 一般的な言葉としては、「保守」は「今あるものを守る」という意味で、「革新」は「今あるものを変える」という意味の筈なのだが、政治の世界では、かつての長い間、自民党は「保守的」で、社会党や共産党は「革新的」「進歩的」と言われてきた。


「右派」と「左派」や、「タカ」と「ハト」も、思えば同様に不思議な言葉だが、一般には、「保守」と「右派」と「タカ」が同じグループ、「革新」と「左派」と「ハト」が同じグループと見做されてきたように思える(もっとも、「右派」と「左派」の場合は、それぞれに極端な言動をする人達がいるので、「中道右派」「中道左派」と一々言い換える必要があるかもしれないが……)。

政治の世界で「保守(Conservative)」という言葉が定着しているのは英国ぐらいで、かつては「保守党vs自由党」その後は「保守党vs労働党」という二大政党が対立した訳だから、大変分かりやすい。しかし、米国では共和党を保守(Conservative)とは言わない。「今あるものを守りたい」と最も強く願っているのは恐らく中国共産党だろうと思うが、誰も彼等を「保守」とは呼ばない。日本でも、正規社員で構成される労組は最も既得権に敏感で保守的な行動をとる傾向があるが、労組をバックとする民主党員は「保守的な人達」とは呼ばれていない。

敗戦直後の日本の状況を思い出してみると、強い個性を持った吉田茂(麻生副総理の祖父)が、「保守」の領袖として、芦田均(民主党)、片山哲(社会党)等の対抗馬を押さえ込んで、現在の日本の原型を作り上げたと言ってもよいだろう。吉田茂は、徹底的に「米国の傘の下での日本の復興」を志向した。私などは、これは非常に正しい選択だったと思うのだが、彼を「対米追従」の象徴として嫌う人も多かった。でっぷりと太って葉巻をくゆらせ、気に入らない相手は甲高い声で怒鳴りつける超ワンマンの彼は、世論が真っ二つに割れる時にはとってつけの憎まれ役になった。

しかし、外交畑を歩いてきた吉田茂は、戦争末期には軍部から睨まれて獄中にあったし、その意味では徹底した反軍国主義者で自由主義者だった。従って、朝鮮戦争の勃発と共に米国が日本の再軍備を強く望むようになっても、旧陸海軍の関係者には絶対に力を持たせないよう、強い姿勢を貫いた。その意味では、彼は「タカ」よりは「ハト」と呼ぶにふさわしかったと言ってもよいだろう。

それ故に、彼は、芦田均、石橋湛山、更には、後に「公職追放」を解かれた鳩山一郎などが主張した「自衛隊の地位の明確化」にも強く反対した。だから、自衛隊が長い間「日陰の子」のような肩身の狭い思いを強いられ、現在もなお曖昧な地位にあるのは、彼の責任だと言ってもいいだろう。その意味で、彼は、評価されるか非難されるかは別として、完全な確信犯だったと言える。

因に、当時かなりの力を持っていた日本共産党は、「独立国である限り軍備を持つのは当然」として、軍事力を持たない事を前提とした新憲法の文案に異議を唱えていたが、吉田茂はこのような反対論を全て押さえ込んだ(現行憲法を金科玉条にして「改憲は絶対に許さない」と息巻いている現在の共産党を、地下に眠る党の創始者達はどのように思うのだろうか?)。

さて、私の学生時代(1950年代の終りから1960年代の始め)は、後に盛んになる学生運動もまだボチボチという程度の時代で、左翼の活動家にも基本的に真面目で素朴な人達が多かった(その後、安保闘争を経て、「暴力革命路線」を捨てた共産党に対抗する形で生まれた「新左翼」を呼ばれるグループが、相当数の若い人たちを吸収、鉄パイプで対立するグループの活動家を殴り殺すような超過激路線に突き進んだが、これは相当後になってからの事だ)。

実のところ、「社会主義や共産主義は実際にはうまく行かないものだ」という事がまだ「現実」として理解されるには至っていなかったその頃には、私自身を含め、多くの若い人達は「社会主義(計画経済)の方が資本主義より恐らくは優れたシステムであるに違いない」と漠然と考えていたと言ってよいだろう。「資本主義を支持して、一握りの人達が金儲けの為に多くの人達の労働力を安く買い叩くのを許容するわけにはいかない」という「素朴な正義感」のようなものが、その根底にあったと思う。

そして、そう考える真面目な若者達の多くは、「これからは『保守的な』高年齢層の人達が次第に少なくなり、『進歩的な』若い人達の比率が多くなるのだから、自民党支持者は次第に少なくなり、社会党支持者が増えて、日本は必然的に社会主義国になる筈だ。だから、自分達は議会民主主義を信じてこれを守っていけばよく、『暴力革命』等は全く必要ないし、あってはならない」と考えていたと思う。

(こういう基本的な状況が水面下にあったが故に、「新左翼」が暴れ回わり始めた時でも、彼等に組みする若者達はそんなにはいなかったわけだが、だからこそ、こういう状況に危機感を持った右翼の大立者が、左翼に対する世の中の反発を惹起する目的で、わざわざ暴力的な新左翼に資金を提供したのだという噂もあった)

実際には、「政治」より「経済」を重視した吉田茂は、有能な経済官僚だった池田勇人や佐藤栄作を重用して、日本経済の復活を着実に軌道に乗せていった。一般国民もハングリー精神をもってよく頑張ったので、結果として、数年を経ずして、日本経済は世界を驚かす程の高度成長を成し遂げ、国民の生活は、さして大きな不公平感も生まない形で、少しずつ良くなっていった。

「保守的な」資本主義体制を最後まで「悪」と決め付けていた「革新的な」社会主義信奉者達も、こうなると、一般大衆の充足感の前では語るべき言葉を持たなかった。その上、目を海外に転ずれば、米ソの経済格差は歴然であり、西ドイツと東ドイツ、韓国と北朝鮮、台湾と大陸中国を比べてみると、この差は更に大きいように見えた。「革新」や「進歩」とは「貧しい生活を守る」事だと言われても仕方のないような皮肉な現実が、既に多くの人の目の前に露になりつつあった。

さて、それでは、このような状況下で、日本の防衛問題についてはどのような議論があったのだろうか? 話は前後するが、「社会主義経済は現実にはうまく行かない」事を多くの人達が認識するに至る前には、「非武装中立論」というものが大きな説得力を持ち、かなりの数の人達の支持を得て、「日米安保体制の堅持」という自民党の路線と鋭く対峙していた。

時はまさに東西冷戦の真っただ中。この頃の「非武装中立論」には、現在の社民党や共産党の「空想的な平和主義」よりは、比較にならぬ程の現実性があった。前述のように、当時は未だ「社会主義国の不都合な真実」が表に現れていなかったので、「最悪時、日本は中ソの影響下に入って社会主義国化してもよいではないか」という考えが、かなり多くの人達の心の奥底にあったからだと思う。

これに対して、「米国と運命共同体を作って冷戦の最前線に立たされる」事は、極めて大きな現実的な危険を伴っていた。発火点がキューバであれどこであれ、仮に米ソが決裂して全面的な戦争状態に入れば、アジアでは韓国と日本が米国側の最前線となる事は避けられない。日本に米国の基地がある限りは、ソ連空軍は日本を波状攻撃するだろうし、その時には、米軍基地だけに留まらず、当然工業地帯も目標にされるだろう。また、その一方で、中国の人民解放軍は大挙して朝鮮半島を南進し、日本上陸を狙える体制を整えるかもしれない。

米国は韓国と日本を死守するだろうか? それはどちらとも言えなかった。防衛線を太平洋の島々の線まで下げるという選択肢は、彼等には最後まで消えなかっただろう。いや、日本にすれば、米国が日本を死守する方針を固めて、自国が凄惨な地上戦の戦場になるよりは、その方が却って有難いかもしれなかったのだ。

従って、それならば、「始めから日米安保条約など破棄しておいた方が安全なのではないか」という考えも、当然あって然るべきだった。米ソ有事にならなかった場合は、日米安保で守られている場合にくらべれば、隣国に侮られて色々な干渉を受けるというマイナスはあるが、日米有事になった場合は、中立が守れる可能性も全くゼロとは言えないし、結局は「共産圏」に組み入れられるとしても、戦った後に組み入れられるのと戦う前に組み入れられるのとでは、待遇が違うだろうとも思われたからだ。

しかし、現実には、米ソ開戦は避けられ、東西冷戦は終結した。だから、日米安保で守られてきた現状の方が、結果論的には良かった事になる。そして、これからの問題としては、「安保体制の堅持」は当然必要だと私は思う。現時点での最大の懸念は「資源確保の為の膨張策を取りそうな隣国中国との衝突」であり、「日米安保があった方が、抑止力が働くだけ遥かに安全だ」と思われるからだ(勿論、これは必要条件であって、十分条件ではない。日本自身がある程度の海軍力を持つ事も、現状では必要不可欠だろうと私は思っている)。

中国はまさか自ら米国と戦端を開くような冒険はしないだろうが、もし日本に備えがないと見れば、色々な紛争を武力で解決しようとする事は大いにあり得るだろう。そして、普通の日本人は、日本共産党や一部の極端な中国贔屓の人達のように、「日本が共産中国と一枚岩になっても、別に構わないではないか」とまでは、今となってはとても割り切れないだろう。かつてはどちらかと言えば「非武装中立」論者に近かった私自身も、勿論その例外ではない。

最終的に、私が言いたい事は何かと言えば、先ず、「複雑系」で動いている世の中の実体を良く見極める事こそが、我々にとって最も必要な事であり、「保守」とか「革新」とか、「タカ」とか「ハト」とか、人に意味のないレッテルを貼るのはもういい加減にやめようという事だ。そして、次に、どんな時でも先入観には影響されず、その時々に国として最も適切だと思われる政策を取るべきだという事だ。「最適な政策」には、「保守」も「革新」も、「右」も「左」もない。「適格な状況判断」と「冷静な計算」だけがそれを可能にする。