書評:『なぜ景気が回復しても給料は上がらないのか』 --- 城 繁幸

アゴラ


なぜ景気が回復しても給料は上がらないのか (働く・仕事を考えるシリーズ)

3人の著者はいずれも第一線の労働弁護士で、法律家の立場から、各種判例を交えつつ、日本の雇用法制に大胆に踏み込んだのが本書である。

タイトルを見てアベノミクス批判本と思った人もいるかもしれないが、本書はアベノミクス自体をどうこう言う本ではない。ただ、どんなに金融緩和をして多少景気を良くしたところで日本企業がおいそれとは賃上げ出来ない構造について解説する(下線は本書からの引用)。


主な論点について紹介しておこう。

・終身雇用のままでは、怖くて賃上げなんて出来ない

筆者自身もこれまで述べてきたように、一度上げてしまった賃金はなかなか下げられないため、本当なら賃上げできる状況でも企業は賃上げを控える傾向が特に近年は強くなっている。将来的な経済状況を悲観すればするほど、今のうちから賃金を出来るだけ低く抑えておくのが合理的となってしまうためだ。

では、企業としてはどう対応するかということが次の問題となるが、賃上げに二の足を踏むことになるのは当然の結果である。つまり、短期的には会社の利益が上がったとしても、中長期的な視点ではむしろ「将来景気が悪くなったときに賃下げできない」と考えて、賃金を上げることをためらうのである。

現在の雇用を守るために結果としてデフレが実現したというのが東大・吉川教授の理論だが、将来の雇用を守るためにも既にデフレの芽はまかれているわけだ。

・終身雇用は格差を生みだしている

正社員の賃金と雇用を守るために、企業は非正規雇用を雇用調整の手段として活用してきた経緯がある。だから、両者の賃金は各々の生産性とはパラレルに拡大する一方である。そして、司法も正社員を整理解雇する前に「まず非正規雇用を雇い止めするべし」と、身分制度的な要件を作って押しつけている。そしてこのダブルスタンダードはOECDやILOからも是正勧告されている事実だ。

筆者のように賃下げ等の規制緩和論を唱えると「それは労働者イジメだ」という指摘を受けることがある。しかし、ここまで読んで頂いた方には、むしろ逆であることが分かるのではないかと思う。つまり、現在はごく一部の少数が不利益変更法理によって安定的に高給を保証され、真面目に働いている正社員、多くの非正規雇用者、零細企業の正社員が割を食っている状況である。
(中略)

このガラパゴス化した一部の人だけに恩恵のある賃下げ規制ではなく、出来る限り多くの労働者が平等に、同じモノサシで評価され「頑張っている人が報われる」ような法規制に変えるべきであるというのが筆者の見解である。

・現在の雇用法制では賃下げも解雇もきわめて難しい

たまに「法律上は人事が頑張れば解雇も不可能ではない」という人がいるが、現実的にはほぼ不可能だ。たとえば、万年赤字事業をリストラしようとしても、他に黒字事業があれば法人トータルでみて「余裕がある」とみなされ認められない。全部赤字になったときにはたいていその会社は手遅れである。

ある社員を普通解雇する場合も、会社は 業務命令→ミス→業務命令→ミス→業務命令→ミス という風に「本人が能力的にあるいは意欲的に業務遂行できませんでした」という記録をかなりの期間にわたって積み重ねねばならず、気の遠くなるようなコストがかかる(しかもそこまでしても勝てるかは不明)。

そして、そういったプロセスは高度成長期、つまり社内に仕事がいくらでもあった時代はそれなりに意味があったかもしれないが、社内から仕事がなくなった結果の社内失業者に対しては、そもそも与える仕事がないわけだから上記のようなプロセスの立証は不可能だ。

この点に対する著者の一人(倉重氏)の以下のコメントは、管理部門の人間なら胸に突き刺さるのではないか。

(JALが会社更生法適用後にリストラした社員から訴えられ、現在も東京高裁で継続中の案件について)
筆者としては「この訴訟で会社側が負けたら日本の人事労務は終わりだ」と考えていた。賃下げしようにも不利益変更法理に阻まれて出来ず、リストラしようとしても解雇権濫用法理に阻まれたために多額負債を抱えて会社更生法の適用を受け、税金の投入も受けた会社でもなおリストラが認められなかったとすれば、今後ほとんどの企業が人員整理を行うことが出来なくなり、ますます企業再生が困難になってしまうからである。本来は会社更生法適用前にスムーズなリストラで乗り切るべき事案だったのだから。

・過労死問題の根っこは終身雇用にある

これも筆者自身よく述べていることだが、長時間残業を防ぐには「忙しかったらじゃんじゃん人を雇わせる」しかない。

でもそれをやってしまうと暇になったときに人件費で会社がパンクしてしまうリスクが高いから、企業としては採用のかわりに“残業”で対応するしかない。だから36協定のように労使でいっぱい残業出来る抜け道を用意しておくわけだ。いうなれば過労死とは終身雇用の副産物みたいなもので、そこを無視してブラック企業だ何だと騒いで回ってもガス抜きくらいの意味しかない。

景気の悪化に伴い人員を減らすことには解雇権濫用法理、整理解雇の厳格要件のハードルがある。給料を減らすことには不利益変更法理が立ちはだかる。つまり、景気が好転し、業務量が増えても、会社は業務量の増加分そのまま人を増やすことはできず、これが長時間労働、過重労働につながる。ここに長時間労働の構造的な問題点がある。
(中略)

これは、労働市場の仕組み、構造自体を変えないと問題の解決にはならない。筆者らが、雇用の流動化を強く訴えているのは、そのためなのである。

他にも、現在の労基法のベースとなっているのは明治の工場法であり、現代のサラリーマンを時給管理することに無理がある点、労働市場の流動性の低さとメンタルトラブルの関係、高齢者雇用の若年雇用に与える悪影響、合同労組(ユニオン)に団体交渉権を認める弊害など、およそ雇用に関する論点は網羅されていると言っていい。

そのうえで、本書は最終的な処方箋として、段階的な金銭解雇ルールの導入や、各種職業訓練、トライアル雇用の拡充、退職金優遇税制などの見直しを提言する。※

労働法の実務者からの真摯な提言であり、バランス良く論点を抑えた良書である。万人にすすめたい一冊だ。

さて、こここからは私論。

筆者は、よくある「経営側弁護士、労働側弁護士」という線引きに、いつもものすごい違和感を感じている。というのも、一般的な経営側弁護士と呼ばれる人たちは、経営者や管理部門以外にも、企業内労働組合とも密接な関係があるのが普通であり、経営者としか接点を持たないアンチ労働者階級の士業なんていうのは左翼のフィクションだ。

一方で、まったくそういった弁護士とは違うスタンスの労働弁護士が一部にいるのも事実だ。両者の違いは何かと言うと「企業の長期的な存続に理解を示しているかどうか」だというのが筆者の意見だ。

当たり前の話だが、会社がつぶれて困るのは労組も同じだ。だから、普通の労使、そして実務者のすべても、どうすれば利害関係にあるものが利益を最大にのばせるかを長期的視点にたって考える。だから、そういった人たち同士の話し合いは、紆余曲折はあっても必ず落とし所が見つかるものだ。

ところが、某党の「工場でも資材でもたたき売らせて内部留保を吐き出させろ」発言を見ても明らかなように、一部の実務者の中には、そうした観点がまったく欠落している人たちがいる。彼らは企業の存続にはほとんど関心がなく、どうやって最大限の利益を今この瞬間に引っ張り出せるか、という基準で行動している風に見える(ちなみに筆者はそうした弁護士のことを“レッド士業”と呼んでいる)。

ひょっとすると、本書を読んで労働弁護士のイメージが変わったと感じる人も多いかもしれない。一般的にいって、個人ではなく企業とメインに仕事をする弁護士は、あまり情報発信しないしメディアにも出てこないので、一般人がその言説に触れる機会が少ないのも事実だ。

とはいえ、それはけしてマイナーでニッチな少数意見というわけではなく、むしろ良識ある法律家の代表的なスタンスだということは、この場で最後にフォローしておきたい。

※組織内の処遇の流動化のための規制緩和も提言に含まれているが、現在でも賃金等の不利益変更については、労使で合意すれば出来ないわけではない。キヤノンやリクルートのように他社がやらないのは、いまのところ労使ともにインセンティブがないからだ。同一労働同一賃金の基本法のようなものを作れば(非正規雇用や若手からの)訴訟リスクを恐れて、職務給にシフトが進み、結果的に組織内も流動化するだろうというのが筆者の意見だ。


編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2013年8月20日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった城氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。