日本が財政破綻に突入した原因は、小さな問題から先に決め、利害の対立する大きな問題を先送りする「両論併記と非決定」だった。日本の組織には最終決定権者がいないため、みんなの合意が得やすい小さな問題については何回も打ち合わせして入念に決めるが、その前提となる大きな問題は意見がわかれるので、事務局が両論併記した玉虫色の素案をつくり、最終決定を避ける。
消費税の増税延期までの過程で印象的なのは、最初から最後までどうやって財政を再建するかのという長期計画がないことだ。最初にリフレ派から出たのは「1997年に橋本内閣が消費税率を上げて税収が減った」という話だったが、これは嘘である。彼らは嘘であることを知りながら政治家に宣伝していたので、経済学者が指摘すると引っ込めた。
今からみると、潜在成長率が0.5%程度の日本で、「アベノミクス」の偽薬効果によって瞬間風速で年率2.6%の成長率が出た2013年4~6月期は、増税の最後のチャンスだった。しかし安倍首相の側近には反対論が強かったため、60名も集めた有識者会議(御前会議)では両論併記の「財政再建の方針」が決まった。
このあとも正式には結論を出さないまま、次第に増税延期に軸足を置く「素案」が何度も策定された。日銀の黒田総裁は「長期金利に責任がもてない」と抵抗したが、安倍首相は増税派と反対派の対立を調停できないまま内閣を投げ出した。
詳細にみても、いつ誰が延期を決めたのかは不明で、「これでよく延期の意思決定ができたものだと、逆の意味で感心せざるをえない」と出席者の一人は述懐している。財政再建の見通しがないことは誰もが知っていたが、3年目以降は「わからない」という財務省の曖昧な表現が、やり方次第では何とかなるかもしれないという楽観論を生んだ。
御前会議が閣議のように全員一致だったら首相は拒否権を行使できたはずだが、その決定ルールは決まっていなかった。かといってそれは多数決でもなく、「御前会議というのはおかしなものである。首相には会議の空気を支配する決定権はない」と安倍首相も嘆いた。彼も「空気」が最高意思決定者だと考えていたのだ。
そうやって日本の政治が迷走しているうちに、アメリカがシリアを爆撃し、これに対してイランがイスラエルを爆撃し、イスラエルがイランの核施設を爆撃した。その報復としてイランはホルムズ海峡を2000個の機雷で封鎖し、日本に輸入される原油の8割が止まった。原油価格は1バレル=200ドルを超え、70年代の石油危機のようなインフレと買い占めパニックが始まった。
長期金利は20%を超え、国債を日銀がすべて引き受けたため国債はさらに暴落し、200兆円近いマネタリーベースが市中に出たことによって物価は5倍になり、年金や生活保護は一時的に支給が停止された。銀行はすべて一時的に営業を停止したが、地方銀行のほとんどはそのまま経営が破綻した。預金保険機構によって1000万円以下のペイオフは行なわれたが、金融システムは崩壊し、日本経済はそのまま二度と立ち直ることはなかった。
上の文章(シリア爆撃の前まで)は拙著『「空気」の構造: 日本人はなぜ決められないのか』の155~6ページの文章の「日米開戦」を「財政破綻」に置き換えたものだ。安倍首相=近衛首相、財務省=海軍などと置き換えると、日本人の意思決定は70年前も今もほとんど同じであることがわかる。特に中東に危機が迫っているとき、何も決めない御前会議を繰り返している余裕は日本にはないのではないか。