知っていて欲しい「戦後日本の分割占領計画」 --- 山口 俊一

アゴラ

NHKオンデマンドで、1977年放送の「NHK特集 日本の戦後 第1回 日本分割 知られざる占領計画」を見た。戦後にアメリカから公開された機密文書をもとに、再現ドラマと専門家による解説を交えたシリーズ番組の第1回目だ。

[ 番組説明 (NHKオンデマンドより)]
太平洋戦争後、東西や南北に分割された国がある中、日本はアメリカの一括統治により分割占領を免れます。しかし、アメリカは開戦当初から米英中ソの4か国による日本の分割占領計画を検討していました。日本は、なぜ、分割されずに済んだのでしょうか。米国立公文書館の極秘文書から、日本分割案の誕生から消滅までの過程を描きます。

この中で、2つの「現実にならなかった事実」が語られていた。


1.原爆投下の最終候補地に広島、長崎だけでなく、北九州の小倉、新潟も挙げられていた(当初は、東京、大阪、京都なども検討対象であった)。

当日の天候などの諸条件により、広島と長崎に原爆が投下されることになったという。8月6日、8月9日には、毎年ニュースで報道されるので、広島・長崎を知らない人はいない。しかし、それ以外の都市が候補地であったことを、一体どれほどの人が知っているのだろうか。ちょっと考えれば分かることだが、アメリカが当てずっぽうの場所に原爆を落としたりはしない。

「もし、当日の小倉の空が靄ってなければ」長崎ではなく小倉だったかもしれないし、「もし、日本が降伏直前でなく、アメリカと互角の状態であれば」より大都市である東京や大阪だったかもしれない。

2.連合国が、敗戦後の日本を分割統治しようとしていた。

敗戦後の日本占領方法について、アメリカ軍の内部組織で、さまざまな検討の結果、最終的に以下のような分割統治案が固まったという。

  1. 北海道・東北地方は、ソ連統治
  2. 関東・中部地方は、アメリカ統治
  3. 東京は、アメリカ・ソ連・中国・イギリスの共同管理
  4. 関西地区は、アメリカ・中国の共同管理
  5. 四国は、中国統治
  6. 九州・中国地方は、イギリス統治

※図は、ウィキペディアより

恥ずかしながら、正直知らなかった。日本が分割されたかもしれないというのは、どこかで聞いた記憶があったが、キチンと認識したことがなかった。

でも、これも考えてみれば、分割統治案の方が自然だ。ドイツは東西に分けられたのだから。その後、朝鮮半島やベトナムも、アメリカとソ連の思惑から南北に分断されることになる。

なぜ日本が、事実上アメリカ単独による占領となり、今に至るまで1つの国でいられたのか?

このような疑問に対して、ばくぜんと「日本という国の特性から判断して……」「日本人というのは……」などと自分都合に考えてしまいがちだが、「日本人のためを考えて」などという親切な理由であろうはずがない。

要は、「アメリカにとって、その方が都合よかったから」ということだろう。

どう考えても、ソ連や中国は不満だったに違いない。現に、ソ連は北海道の北半分の占領については、強く主張していたという。また、アメリカ軍内部での分割統治計画についても、単独占領ではアメリカにとって人的・費用的な負担が大きすぎる、という理由で検討された様子が番組で紹介されている。

「もしアメリカ以外にも、日本降伏に対して貢献度の高い国があったら」「もし戦争が長期化し、本土決戦になって、ソ連がより深く日本戦に踏み込んでいたら」「もしソ連がアメリカと敵対する動きがみられなかったら」「もし原爆の開発が少し遅れ、アメリカが核兵力を保有せず、そこまで強い発言権をもっていなかったら」いずれかの条件が変わっていただけで、日本分割統治計画が実現したのではないだろうか。

2つの「現実にならなかった事実」は、本当に紙一重の差で実現しなかった歴史の重大事だと思う。

そう考えると、北朝鮮が無茶なことばかり繰り返しているのも、少し気の毒な感じがしてこないでもない。今ごろ「最近の北(南)日本の独裁政権は、どうしようもないな」と世界中から疎まれていたかもしれないのだ。また、北海道旅行に行くのに、パスポートが必要だったかもしれないのだ。

他にも、日本人として知っておかなければならない重要な事実が、まだまだ抜け落ちているのではないだろうか。

そんな不安を感じた番組だった。210円の価値は十分にあった。視聴をお勧めしたい。

山口 俊一
株式会社新経営サービス
人事戦略研究所 所長
人事コンサルタント 山口俊一の “視点”