JR東海が発表したリニア新幹線計画に対して異論が掲載されていました。千葉商科大大学院客員教授の橋山禮治郎氏が「速いだけ」と酷評した点です。きょうはこの異論の反論をベースにリニア新幹線について考えてみましょう。
まず、景色がよく見えない点です。86%がトンネルで景色も見られないという点については橋山教授だけでなく、比較的多くの人が残念だと思っているでしょう。
私が記憶する限りでは新幹線が新大阪から岡山迄伸延された時、更に西に伸び続けるに従い、トンネルだらけだ、と失望のコメントがされたことをよく覚えています。事実、新幹線に乗ると新大阪までは比較的景色を見ることも可能ですが、そこを過ぎると確かにトンネルが急に増えることにお気づきの方は多いでしょう。鉄道愛好家の方にとって旅愁が車窓から始まるというのは多くの小説のネタにもなっており、捨てがたいものだとは十分理解しておりますし、一種独特のテイストがあるものであることも重々承知です。
では飛行機はどうでしょうか? 仮に窓際の席に座っても飛び立てばものの数分で雲の上、晴れていても私のように国際線を多用しているとほとんど海の上で窓の下を見ることはまずありません。ましてや通路側の席の人は景色とは無縁となるのです。しかし、これに対して不満が出たことはあまりないはずです。いや、むしろ、通路側の席をあえて求める人が多いのはトイレにたつ時に窓際だと不便と思っている人が圧倒的に多いということがあるでしょう。旅愁はなくなるかもしれませんが、エキストラのお金を払う意味はやはり時間を買っていると考えるのは北米的でしょうか?
仮にリニア新幹線で景色が見えても私は移動スピードが速すぎて景色を堪能することは出来ないと思っています。鈍行列車で少し窓を開けてその地方の空気を取り込みながら線路際の道行く人々や面影ある家並みを見ることを期待するのは難しいのであります。つまりリニアでは発想の転換が必要だと思います。
次に橋山氏は「本当に素晴らしい技術ならとっくに実用化されている。もうどの国も興味を持っていない」とばっさり斬り落としています。成田空港にある日航が開発したリニアもありますが、高速のリニアの技術はようやく実用化にこぎつけたところです。列車としては欧州を始め、韓国、中国、台湾など新幹線を含む高速列車は大いに普及しており、今後、東南アジアやインドなどにもそのチャンスは広がっていくとされています。氏は北米のことを念頭に置いたかもしれませんが、それは人口密度の違いがある点を考慮すべきだと思います。
コンコルドは失敗したではないか、という異論についてはあれは開発そのものの失敗作。うるさい上に大西洋横断でコンコルドの料金は通常の飛行機のファーストクラスの料金と同じでした。私も一度、ロンドンからニューヨークとワシントンに行くに当たり、急ぎだったのでコンコルドに乗ろうとしたのですが、あまりの料金の高さに腰が引けてしまいました。ですが、JRが提示しているのはのぞみより700円高いだけ。コンコルドと比べるのは無理がありそうです。
技術開発に無用はありません。その技術をどう転用し、一般社会に還元し、広く人々に喜んでもらえるか、これが重要なのです。今から数十年前、日本全国にこれだけの新幹線が走る日を想像できたでしょうか? そして多くの人がまるで通勤電車に乗るように利用しています。ましてやリニアは世界で始めての実用化であるがゆえに意味があるのです。
最後にリニア新幹線が失敗すると橋山氏は断言しているのですが、その根拠は薄弱です。失敗とは経営的な失敗を意味しているのか社会的成果をもたらさないという意味なのか、わかりませんが、経営的観点から言えば私は大丈夫だろうと楽観しています。事業収支を見たわけではありませんが、自前の資金調達で外部からの圧力が極めて少ない事業である点において経営効率を最大限追求しやすいからであります。
公共交通機関が時として赤字を計上するのは政治を通じた赤字路線の維持であります。日航が赤字地方路線でもがき苦しんだのは記憶に新しいでしょう。
こう考えればリニアへの挑戦は次世代の人に日本の夢を運んでいるといってもよいのではないでしょうか?
期待しております。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年9月22日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。