資本利潤率がゼロになる日

森本 紀行

資本主義の経済システムにとって本質的な矛盾は、マルクスを引用するまでもなく、資本の蓄積そのものが資本の利潤率を引き下げるという問題である。別に難しいことではない。資本蓄積につれて、分母としての資本総量が大きくなれば、分子としての資本利潤が同じ率で大きくならない限り、資本利潤率は、維持できないということにすぎない。


経済の成長初期において、資本が不足しているときには、資本は豊かな投資機会を見出す。しかし、理の当然として、資本の蓄積が進んで経済が成熟してくれば、利用できる資本総量に対する投資機会は減少していく。ゆえに、資本利潤率は低下しなければならない。

資本利潤率の判り易い指標は金利である。日本では非常に長期に及んで、低金利が定着している。人口が減少に向かおうという日本のことだ。世界有数の規模にまで蓄積された資本は、行き場を失って久しいのである。いわゆる金余りである。ところが、いまや、日本だけではなく、金余りと低金利は先進国全体の現象である。

これまでは、世界の資本は、それなりに投資機会を見出してきた。一つは、投資機会を見出すというよりも、積極的に不必要な投資機会を創出してきたのだ。かつての日本の不動産バブル、最近では、サブプライム。ところが、不必要な信用膨張は、必然的にはじける。もう一つの投資機会は、中国に代表される新興経済圏の成長であった。しかし、これも、成長の無限性は否定されつつある。

金利、即ち、お金の価格が安くなれば、市場理論的には、需要が増える。世界の金融当局が政策金利を下げるのも、そうした背景があるからだ、しかし、現実にはどうか。投資機会がなければ、金利が安くても投資は誘発されない。事実、日本の過去の経験は、超低金利にもかかわらず、顕著な投資需要の誘発はなく、低成長経済が定着してきた。

さて、これからどうなるのだ。マルクスの予言通り、資本利潤率がゼロとなって、恐慌が起きるのか。現時点で累積された全世界の資本総量は、十分な資本利潤率を維持できるのか。絶対的な資本の過剰はないのか。

いずれにしても、もはや、資本は不足していない。二つの重大な問題がある。第一に、資本の希少性と、それに基づく資本利潤率の高さを前提とした従来の資産運用は、期待収益率の形成において根本的な見直しを迫られる。第二に、構造的な資本過剰傾向のなかでは、バブルやマネーゲームといわれるような、単に市場の攪乱をもたらすだけの投資需要の捏造が周期的に起きる潜在的リスクは消えない。今後の資産運用においては、リスク管理のありようも根本的な見直しを迫られる。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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