新美南吉の『ごん狐』という話は、わりと広く知られています。教科書で読んだことのある人も多いと思います。TBS系の『まんが日本昔話』で見た人もいるでしょう。
これは、私が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。
という冒頭の書き方から伝聞形式の物語になっている。ただ、この最初だけが、人から聞いた、という書き方で、最後は物語の中のまま終わります。
『ごん狐』は「ごん」という名前の子狐と兵十(ひょうじゅう)という貧しい農民の男が主人公です。孤児なのか「ごん」は「一人ぼっち」という設定で、この子狐に幼くして実母に死に別れた新美南吉の気持ちを投影している、とも言われています。初出は『赤い鳥 復刊第三巻第一号』1932(昭和7)年1月号。ざっとしたアラスジは、表題ブログにも書いてあるんだが、青空文庫からファイルを手に入れることができます。
このブログでは「ごん」が、わざと兵十に銃で撃たれた、という解釈に疑問を呈しています。そんな解釈があったというのも驚きなんだが、原作には兵十という男の性格があまり詳しく描かれていません。病気の兵十の母親のためのウナギを盗んだ一件の前からの「ごん」と兵十や母親との関係も定かではない。ウナギを食べたら兵十の母の病気が治るはずだった、というのなら話はわかるんだが、そういうわけでもない。長い物語でもないので、そう深く解釈できるとも思えず、わざと撃たれた、とか、人間界と自然界を結びつける生け贄になった、という見方がどこから出てくるのか、ちょっと理解できません。
ただ、新美南吉自身の写し絵なのか「ごん」も兵十も「一人ぼっち」という共通点があるだけです。孤児である「ごん」は、病気で母親を亡くした兵十と一方通行の相身互いな気持ちを抱き、兵十のほうは「ごん」の気持ちは知らない。このあたりに、なんともいえない「もどかしさ」があります。
この物語を読むと「不条理」という言葉が浮かんでくるんだが、世の中には道理では説明できない出来事がたくさんあります。浜田廣介の『泣いた赤鬼』は「ありがち」のようで「滅多にない話」で、そんなことをしないほうがいいのに青鬼の置き手紙に物語の説明過多なカタストロフィがある。しかし『ごん狐』のほうは、どうもしっくりしない残尿感のような読後感が溜まります。柳田国男の『遠野物語』にもあるように、土俗的な伝承には、まるで結末はお前たちが勝手に考えろとばかり、読み手に放り投げて唐突に終わる話が多い。この世の「不条理」を何となく腹に収めつつ子どもたちは大人になっていく、というわけです。そう考えると『ごん狐』は「深い」。元の記事にあるように、新美南吉がこれから再評価されるのかもしれません。
国家鮟鱇
「ごん狐」の解釈
またもや橋下維新の会の化けの皮がはがれた
『永田町時評』NwesSUN
もう完全に「賞味期限切れ」状態です。大阪の一部市民からしか支持されてないんじゃないのか、これ。「大阪都構想」というシロモノの正体がすでに「妄想」だとバレてしまった。しかも、旧維新の会ならまだ新鮮みがあったんだが、石原慎太郎氏ら旧太陽の党(たちあがれ日本)の老人たちが合流し、魅力半減どころか激減。橋下徹大阪市長の「魅力」の利用価値も同じように凋落状態、というわけで、単なる一地方の「お騒がせ市長」に落ちぶれるのも、そう遠い話ではなさそうです。
外国人客はイライラしてます!あなたの接客態度は大丈夫?
Jason Winder
英語圏のヒト、英語がネイティブなヒト、というのは、こうした感覚を抱きつつ、外国で暮らしているんでしょうか。日本語がネイティブな人間が海外へ行って、こんな体験をすることはほとんどありません。ちょっと前の韓国や台湾には、日本語を流ちょうに話せる高齢者がいて突然、日本語で話しかけれて面食らったりしたもんなんだが、もうそうしたヒトたちも少なくなっています。相手がどんな言葉を話せるのか、会話してみなければわからない。うちの近所には白人が多く住んでるんだが、必ずしも英語を使ってるわけじゃありません。
仕事を遊びという人は、仕事をしているということ
fashion journal
遊びと仕事の間に境界がない、つまり「遊び」が仕事、という幸福な人たちについて書いている記事です。サイトがサイトなので、地方の工場で一日8時間、ずっと単調なプレス機械を押し続ける、あるいは鳴り続けるクレーム電話と格闘し続ける、というようなことは想定外なんでしょう。今でもどこでも規模や均一性が求められています。「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」という言葉はホイジンガだかが考えついたものなんだが、ロジェ・カイヨワあたりも「遊び」に興味を抱いたらしい。そうした観点からみれば「遊び」にもいろいろある、ということです。
Siriの機械音声はどのように作られて会話を可能にしているのか?
Gigazine
iPhoneを使ってるヒトは「Siri」は知ってると思うんだが、これまでのdocomoユーザーなら「しゃべってコンシェル」です。「Siri」はアップルなので、やはり日本語は不得意らしい。比較動画なんかを見ると、日本での仕様に特化した「しゃべってコンシェル」に軍配があがります。この記事では「Siri」の声の主や仕組みを紹介。こうした技術が進化すれば、声優という仕事がなくなるかもしれないそうです。
アゴラ編集部:石田 雅彦