この夏は、軽井沢に二度参りました。ちょいと胸をやってしまい、セキが止まらず、そこで三笠ホテルやら白樺の木漏れ日やらで、鎮めていました。
宮崎駿「風立ちぬ」。
とても非情な映画です。
ぼくは、「非情なまでに美しい」、がテーマと見ました。
美しさを追い、女も国も滅ぼしてしまう。無垢な生きざまが醜悪な帰結を招く。それを覆い隠す、緑、濃い青空、昭和初期の町並み、金属の塊、モネの構図の女性、とても美しい。中でも軽井沢の雨が圧巻です。ぼくが見た、この夏の雨より、うんと美しい。
主人公は非道です。当初お手伝いさんのほうを追いかけていて、長らく忘れていたのに、愛していたとしゃあしゃあとぬかしてお嬢さまと結婚します。でも、サナトリウムに主人公は行きません。そのかわり、自分の楽しい会社生活を手紙でこれみよがしに伝えます。
追いかけてきた重病人を、美しいという理由で身元に起き続けます。でも早く帰宅するわけではありません。美しさの期限が切れて、去り、死に行く相手。主人公のメガネを外して、美しさの終わりを見せなくする彼女のいたわりもまた残酷にも美しい。そして主人公はその人のことを追いません。妹が何度諭し、泣いて抗議しても気づきません。
友人が主人公に、飛行機に使うお金で日本中の子どもにご飯を食べさせることができる、と言いますが、それで悩みはしません。エリートの天才は、子どもの食糧や、女の一生や、国の未来よりも、魚の骨や飛行機の美しさが大切。
だからこそ美しい殺人機械が作れます。
美しい機械は、目的を問われません。クライアントたる軍のことも、手本となるドイツも、夢見るイタリアも、自らの美しい機械のためにあります。ゾルゲっぽい人が警告しても、そうですね、で済ませます。
男たちも美しい。戦前のインテリは実におしゃれで、帽子は必須アイテム。主人公は東大から財閥企業に勤め、銀行取り付け騒ぎも人ごとだし、三笠ホテルに長逗留できる立場ですからね。タバコよりも、その主人公の立ち位置がどう受け止められるかのほうが気になりました。
にしても、丸めがねの時代が復活でしょうか。堀越二郎さんも、堀辰雄さんも、丸めがね。あまちゃんのミズタクが春子に腹を殴られ踏んで割ったのも丸でした。というわけで、ぼくもメガネを丸に変えました。関係ないけど。
ぼくは小学生のころ、0戦はやと、紫電改のタカ、あかつき戦闘隊などマンガの影響で、非業の戦闘機乗りを夢想していました。男の子の、メカと、飛翔と、戦闘への渇望をくすぐります。それは戦争に直結しますが、それを隠す矛盾。その描き方に成功したかは意見が分かれるでしょう。
戦争の美と滅びへの憧憬は、隠されたにこやかな表現の中に、残酷に漂っています。危険ですよね。入ってるとは知らせず薄いアルコール飲料をのませるようなもの。「はだしのゲン」の図書館での閲覧を制限かける騒動や、戦争美をパロディーに持ち上げて正面から疑問を投げる会田誠「ミュータント花子」「紐育空爆之図(戦争画RETURNS)」に美術館が18禁をかけるような議論よりも、うんと毒。それを自覚的に描き切っているところが、巨匠たるゆえんです。
世界的な映画は、これくらい毒がなきゃあね。
よくわからない、という評論も目にしましたが、もののけ姫、千と千尋、ポニョに比べ、なんと平易で逃げのない作品だろうと思いました。解釈の余地は少なく、でも多義的な感想が可能です。
突き抜けたエゴイズム。それに対する自覚的な無頓着。一人の天才の美しいエゴが、家族や社会の犠牲の上に花となって咲き乱れる、その無頓着さを肯定する私小説だとぼくは観ました。創造の狂気とはそうしたもの。それを創造者が肯定的に示す、その意図まではぼくにはわかりませんけれど。
そうだ。改めて、堀辰雄「風立ちぬ」「菜穂子」を読んでみよう。青空文庫からiPad miniにすぐ入りました。こんなに豊かで美しい作品を、無料で即座に手に入れることができる。なんということでしょう。なんということでしょう。
その青空文庫を作られた富田倫生さんが、8月16日、送り火の日に亡くなりました。文化の発展のため、闘い、命を削られました。ぼくには追悼イベントの実行委員を務めることぐらいしか恩返しができていませんが、その遺志を継いでいくことも心に刻んだ夏でした。
ところで。
最後のエンドロールに、プロデューサ見習いとしてドワンゴ川上さんの名前が現れたので、うはっ と声が出てしまいました。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年10月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。