2013年10月15日の言論アリーナ「デジタル教科書、いつやるの?徹底討論 池田信夫×中村伊知哉×辻元」を拝見しました。
私は、中村伊知哉さんに実証データを出してほしいと思ってきましたが、考えが変わりました。
実証データはなくても、とりあえずやってみるのはありでもいいかと思えるようになりました。
やる・やらないよりも、端末自体の性能や機能が問題だと感じました。
目に悪い、刺激が強いなどは、できることなら反射型液晶パネルや電子インクを使うなど、刺激的に感じる発光体を使用しないデバイスが進化して搭載されるように願います。
また、授業中や脇目も振らずにその教科に集中する機構を付けなければならないでしょう。教室や時間割による制御や、先生のしゃべりや説明のタイミングに合わせて見られなくするような機能です。付けることは簡単でしょうし、すでにすることになっていることを祈ります。
中村さんのおっしゃるところではデジタル教科書は全体の3割程度とのことなので、実際の1週間の授業でどの教材がどのように個人の端末、電子黒板などに切り替わるのかを明確にしていただけると助かります。
個人的な予想だと、国語、算数、理科、社会、音楽、図工、体育の教科書、そしてそれに付随するもの(実験ノートや地図帳など)でしょうか。
これだとほぼすべてがデジタル教材に変わっているような気もします。今の小学校で習字がまだあるかは存じませんが、実際に体を動かす物以外は変わってしまうような気がします。実際にはどうなんでしょう。
言論アリーナで印象的だったのが、小学校に入る前にデジタル端末の使い手になっているという話です。確かに、私の子供も、幼いのに使いこなすまでは行かないまでも、必要最小限のアプリ利用はできるようになりかけています。
そうなると、小学校に入るときにはデジタル端末を使って何を勉強できるんだろうなど考えるまでもなく、教科書はデジタル端末で当たり前として小学生になるのでしょう。
対する先生方。小学校の先生の仕事量が減るよう、役所がバックアップをしてほしいです。子供に教えることに集中できるような教材の準備などは現場でも必要だと思いますが、資料作りを先にまとめて役所でやってしまっていれば、先生も楽になれるかもしれないからです。
ちなみに、辻元さんが銀行員が計算できなくてはならない、とされていました。しかし、先日某番組で元銀行員さんが、銀行員は計算機を使っているので暗算は不要だそうです。
なので、プログラムはその道のプロが作り、手計算でいろんな計算ができない人が飛行機の設計をおこなう時代になるのかもしれないですね。
このたび、デジタル教科書に賛同してもいいと思った最大の理由は、この動画を見て、中村さんの意図がなんとなくでも感じられたからです。文字だけでは伝わらないことが多いのかもしれません。
また、その前段階として、松本徹三さんのデジタル教科書問題 ~ 再論を拝読したのも一つの理由です。
あれこれ考えず、よりよい教材、教科書作りに精進して、悪い物はすぐに改善し、誤差の範囲を超えて悪い結果を残すようであればやめてしまえばいいでしょう。子供によりよい教育、学校生活が送れるようにしてほしいです。
もちろん、教育が低迷しているにもかかわらずやり方が今までと同じではいけませんから、デジタルデバイスによる改善とともに、辻元さんがおっしゃるとおり、先生の増強、クラスの少人数化も進めてもらいたいものです。