医療過誤による不幸な事故をなくせ --- 竹内 健太

アゴラ

これからの医療・医学に求められることは、人を病気にさせない、新たな障害を被らせないことにあると思える。特に、医療過誤によって障害を受ける人、亡くなる人をゼロに近づけることが重要であると思える。

医学・医療の進歩によって、多くの人々が健康で長く生きられるようになった。今までの医学・医療は、病気を治療することに専念してきたことによって、医療機器や創薬、革新的な治療技術などが開発され、多くの命が救われた。それらの恩恵は、専ら病気になった人々が受けられた。


しかし、その一方で健康な生活を取り戻せるはずの医療によって逆に心身に障害を受け、不本意な死を招く人も存在する。医学・医療が進歩した現代においても、医療過誤は無くならないのだ。「米国では年間44,000人から98,000人もの人々が医療過誤で亡くなっている」という、1999年に発表された米国医学研究所の報告は記憶に新しい。

翻って日本の医療の実態はどうだろうか。

平成25年8月に発表された医療事故情報収集等事業の調査をみてみよう。平成24年の1年間では、医療事故の報告義務がある医療機関273施設では、医療事故件数は全体で2,592件あり、死亡した件数は171件、高度障害が残存した可能性があった件数は288件であった(発生月に基づいた集計)。平成24年の全国の総病院数は8,565施設であり、単純な比例計算だが、全国で年間約5,400名の命が医療過誤で失われており、高度障害が残存した可能性がある患者は約9,000名に及ぶと推測できる。この数値は明確なものではないため前後すると思われるが、年間約5,400名の命が医療過誤で失われていると考えると、非常に悲しくなってくる。

医療過誤の責任は必ずしも個々の医療者に存在するものではなく、日本の医療システムに根付いている様々な問題にあると思える。

例えば現在の制度では、多くの病院が乱立してしまい、患者が分散され、1つの病院の経験値が小さくなる。また全ての病院に市民や行政の監視の目が届きにくくなってしまう。患者は自由に病院を受診できるため、特定の病院に患者が集中し、医師の業務を圧迫してしまう。心身の余裕がない中で診療に励むことになり、思考や判断が鈍ってしまい医療ミスにつながる。さらに病院の組織内で階層性が存在すると、従業員同士の円滑なコミュニケーションが憚れることがあり、医療ミスが起きる前に、それを食い止めることが疎かになってしまう。

以上のように、医療過誤を引き起こしている原因は個々の医療者にあるのではなく、医療制度や文化のなかに構造的に存在すると思える。

医療事故によって亡くなる人が出ると、マスコミは当事者となった医療従事者に対して責任を糾弾することが多い。ここには、責任の所在を個人の性格や人格などの内面に求めようとする根本的帰属誤謬という認知バイアスが働いている。それによって、医療過誤が引き起こされる背景に目がいかずに、医療システムの不備が見過ごされてしまう。

医学・医療における知識、技術の発展によって1人でも多くの命を救うことは重要である。それと同時に、医療過誤によって不本意な死や障害を被る人々をゼロに近づけることも重要であろう。

そのためには、自由開業医制度やフリーアクセスといった医療供給システムを変革することが必要である。そして、医療サービスを享受する国民一人一人が、お金さえ払えば医療サービスが無制限に受けられるといった錯覚から目を覚まし、医療従事者を思いやる気持ちを持つことも必要であろう。それによって大学病院に集中する患者の数が緩和され、医療従事者に余裕が生まれ、医療過誤を予防する環境に繋がる。

竹内 健太
肩書き:リハビリテーションセラピスト
運営ブログ:『Keep On Thinking