今どき、「こんにちは、赤ちゃん」と聞いて、梓みちよの歌を連想する大学生はいない。そんな大学生たちを連れて、先日、乳児院を訪問した。
1 乳児院とは
乳児院は0歳から2歳までの乳児が暮らす、児童福祉法37条に定められた入所型児童福祉施設である。赤ちゃんにとって一番の幸せは、親から愛情を受け、彼らと一緒に暮らすことである。しかし、中には、家族と一緒に暮らすことができない、あるいは一緒に暮らすことが子供の幸福にならない場合もあり、その時、家族に代わって子供たちの家庭となるのが乳児院である。
日本には2012年10月現在、130か所の乳児院があり、入所児童定員数は3853人である。北海道には2つの乳児院があり(札幌と函館)、私はゼミの学生と札幌市内にある乳児院を見学させていただいた(以下、札幌乳児院)。そこでの驚きと感動、そして、一抹のやりきれなさを記したい。
2 家庭としての乳児院
訪問した札幌乳児院の定員は40名、職員数は45名(このうち、養育スタッフは28名)、昨年度の措置入所児童数は55名、入所理由は、養育困難、逮捕・受刑、監護不適当、虐待、養育拒否、傷病・疾病、等である。昨年度25名の退所先は11名が家庭、10名が里親委託、4名が児童養護施設であった。
生後6カ月未満の乳児の部屋に私たちが入ると、10名近い赤ちゃんが保育士に抱かれてミルクを飲んでいた。その部屋の一角に観察室と呼ばれる部屋があり、そこには入所して3日目、生後10日という新生児が眠っている。私を含め、日ごろ、赤ちゃんという存在に触れることのない学生たちは、「可愛いい!」の大合唱であり、大喜びである。
かつて、乳児院では特定の保育士と児童とのつながりが深まると、他の保育士との関係がうまくいかない、あるいは、児童が施設を対処するときに心のダメージが大きいなどの理由で、いわば集団保育体制であった。しかし、現在はこれを改め、養育担当制を採用し、入所児童一人一人に担当養育者を決めている。その大きな理由は児童の愛着形成のためであるといわれている。愛着とは特定の相手との親密さを持つ情緒的な絆・つながりのことをいい、子供がこの愛着を生後間もないうちから他者との間で形成することによって、その後の人生の中で、円満な人間関係や信頼関係を築くことができるそうである。
換言すれば、「この人が僕を、私を守ってくれる人」という安心感が赤ちゃんの心身の発達には不可欠ということであり、この安心感を与えるために担当養育者を決めることとなったのである。まさに担当養育者が入所している赤ちゃんにとっては愛着の対象となる母親・父親の役割を果たしている。
このことは、赤ちゃんにとって良い効果を及ぼすと同時に、当然のことながら保育士にも少なからぬ影響を与える。札幌乳児院の話によると、非番の日でも「わが子」が気になって職場に顔を出す保育士が少なくないという。自分に全幅の信頼を寄せる非力な乳児に対し、仕事としての責任感以上の感情を持つのは、自然のことなのであろう。その意味で、乳児院は魅力のある職場である。だからこそ、札幌乳児院の養育スタッフの職場定着率は高く勤続年数も長い。そして、たまに保育士の欠員が出て、募集を出すと多くの応募があるという。介護の現場が人出不足で困っているのとは対照的である。
3 2歳の旅立ち
乳児院で愛情いっぱいに育てられた子供たちは、原則2歳になると、退所しなければならない。その行き先は前記のとおりである。つまり、ここの子供たちにとって2歳のお誕生日は、乳児院からの旅立ちの日である。その先に、乳児院時代と同じ穏やかで優しさに満ちた世界で待っているのならば、何の心配もない。しかし、必ずしも、そうでないかもしれないとの不安を拭い去ることができない。
他方、世間は少子化で、子供は一般的に大事に育てられている。2歳のお誕生日を家族に祝福される子供たちには、昨日と同じく平凡だけれども、少なくとも安心して育つ環境が約束されているはずである。さらに、子を思う親心・祖父母心をうまくつかんで、「子供用品は不況知らず」、「「1人の赤ちゃんに4つのポケット(2組の祖父母)」、「孫の学費用贈与は1500万円まで贈与税非課税」、などが言われる。
どんな星のもとに生れ落ちるかは、私たちには、いかんともしがたい。過酷な状況下で生まれ育っても、かくも大成したという物語が人を惹きつけるのは、そんな如何ともしがたい自らの出自を乗り越え、努力と才覚で成功を勝ち得たことに対する羨望と敬意からであろうか。しかし、このようなケースは稀であって、厳しい環境のもとで幼少期を過ごす子供たちは、多くの点でハンディを負って成長しなければならない。
政府は、これからの社会保障制度として、高齢者偏重を脱し、児童の健やかな成長を保障する仕組み作りに力を注ぐという。願うことは、真に大人の助けを必要とする子供たちに確実に焦点があてられることである。
片桐 由喜
小樽商科大学商学部 教授
編集部より:この記事は「先見創意の会」2013年10月22日のブログより転載させていただきました。快く転載を許可してくださった先見創意の会様に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は先見創意の会コラムをご覧ください。