ジャニーズ事務所を作ったのは、メリー喜多川とジャニー喜多川という姉弟です。彼らの生まれは米国西海岸で、二人とも十代後半は米国で教育を受けている。彼らが最初に手がけたタレントはフォーリーブス。グループです。その後も主に、男性タレントを複数のグループで同時に売り出す、というスタイルで日本の芸能界に君臨することになります。単体で売り出したタレントも何人かいるんだが、郷ひろみと近藤真彦以外はパッとしません。近藤真彦も明確なグループではないものの田原俊彦、野村義男の「たのきんトリオ」で売り出しました。
ジャニーズ事務所の「グループ制」は、各世代で構成され、それぞれ同じ世代のファン層を獲得しつつ、経年によって年齢を上げ、下にどんどん若い世代のグループを育成し、それを順繰りにまわしていく、という戦略がとられます。ファンをあくまで集団としてとらえ、多種多彩な個性を組み合わせたメンバー構成にすることで各世代のファン層全体をつかむ、というわけです。バンドブームやチェッカーズの登場といった危機を乗り越え、こうして半世紀の間、とりわけ男性タレントの分野で芸能界に牙城を築いてきたジャニーズ事務所なんだが、ここにきてその土台が揺らいでいるのでは、と話題になっています。
9月30日にジャニーズ事務所は、所属タレントの田中聖を契約解除しています。田中はこれもグループ「KAT-TUN」のメンバーでした。事務所と所属タレントとのゴタゴタは、別に珍しくありません。しかし、ジャニーズ事務所の場合、体質的に所属タレントを「守る」というスタンスをとり、フォーリーブスのメンバーが覚醒剤取締法違反で逮捕された際にも事務所側は解雇しませんでした。例外は、事務所の方針に反抗的だった男闘呼組の高橋一也で、ほかに事務所から強制的に追い出されたタレントはほとんどいません。
「KAT-TUN」については、2006年のメジャーデビュー直後から赤西が語学留学で芸能活動休止を宣言するなど、とかくまとまりがありませんでした。このころから同事務所のタレント管理がおかしくなり始めます。タレントの事務所無視の態度がエスカレートしたのは、2012年に赤西仁が黒木メイサとの「デキ婚」を事後報告したことが象徴的です。この一件で、まず赤西が「KAT-TUN」を脱退。その後、田中が事務所を辞め、グループは今では4人だけになっています。ジャニーズ事務所のグループは、SMAPをみるとわかるように基本的に結束も固く、メンバー同士の関係も悪くありません。
それだけに結成当初から、赤西という「ムードメーカー」に「KAT-TUN」内がかき回され、田中や同グループだけに限らず、事務所内が彼の影響を知らず知らずのうちに強く受けていた、という見方もあります。別のグループ「NEWS」も同じで、メンバーが飲酒して芸能活動を自粛したり、メンバーが脱退したりと不安定です。表題ブログでは「赤西軍団」という交友関係の存在について書いているんだが、所属タレントを「守る」というジャニーズ事務所の姿勢は、あくまで喜多川姉弟の「神通力」があってこそ効力を発揮した。ジャニー喜多川はすでに80歳を超え、後継者であるメリー喜多川の娘、藤島ジュリー景子に叔父や母親ほどのカリスマ性はありません。
フジテレビの昼の長寿番組が終了し、大物名物キャスターがバッシングでテレビ業界を去ろうとしています。フジテレビの凋落が表すように、各局の視聴率競争も様変わりしている。秋元康に代表されるように、日本の芸能界も世代交代の時期にいています。もともと「興行」という反社会的勢力が影響をおよぼしやすい基盤から成長してきた業界であり、すんなりと予定調和的に権力の禅譲が行われる保障はどこにもない。栄枯盛衰は世の常とは言え、ジャニーズ事務所の天下にも陰りが出てきているのでしょう。所属タレントの契約解除は、その終わりの始まりであり、芸能界本格再編の予兆なのかもしれません(※以上、敬称略)。
Johnny’s Watcher
赤西仁にも解雇の可能性が浮上!倖田梨紗による暴露本出版で薬物絡みの重大画像が流出するかもしれないとの噂
小泉元首相の勘違い脱原発論その1 フィンランドの原子力政策の曲解
農と島のありんくりん
政権の中枢や自民党的な主流と距離を置きたがるのが、ずっとこの人の特徴でした。常に保守の中での「アンチ」を体現する、という姿勢は、まさにポピュリストの面目躍如たる部分があるんだが、今は熱心に「反原発」や「脱原発」を唱えて注目を集めています。一説によれば、日本から原子力エネルギーを払拭すれば、オイルメジャーが喜ぶのでそうした動機の深謀遠慮があるんじゃないか、などとも言われています。このブログは、彼がフィンランドの「オンカロ」核廃棄物処分場を見学し、環境の違いを無視して「信者」になってしまったのでは、と想像しています。
血液中のコンパウンドの個人差
生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ
コンパウンド、というのは「小さな分子でありメタボライト」とも言うようです。血液を男性は普段あまり目にしません。しかし、女性は違います。一カ月に一度は自分の血液を嫌でも目にしなければならない。感覚的にも生理的にも男性より女性のほうが出血に耐性がある、という理由もこのへんにあるのかもしれません。このブログによれば、血液の中にあるコンパウンドには「80くらいの個人差がある」らしい。また、血中のカフェイン量だけを見ても一筋縄ではいかないそうです。まだまだ人間の身体は謎だらけです。
人は何故酒に溺れるのか
田舎暮らし 白河
お酒、好きですか。嫌いな人は、酒自体はおろか酒飲みを嫌悪を通り越して憎悪していたりします。節度をわきまえて飲めばいいんだが、よく「酒に飲まれる」とか「酒に溺れる」と言われるように、歯止めが利かなくなったり人が変わったりするような酒飲みも多い。なんとか「上戸」というように寝ちゃったり絡んだり泣いたり笑ったり電柱に上がって蝉をやったり、もう大変です。しかし、まだ忘年会シーズンには早いですね。このブログでは「躁的防衛」をしやすいタイプについて書いている。大麻のほうが影響が少ない、なんて話もあります。しかし、アルコールは政府にとって大切な財源です。バッカスのネクターでもあり、これからも末永くつきあっていかなければならない物質です。
大学受験
治大国若烹小鮮 ─ おがた林太郎ブログ
日本の大学受験制度が果たして「公平」か、という論議があるんだが、受験という「戦術」の面では確かに有利不利があるように思います。このブログでは、1点の間に何十人も受験生がひしめいていて、そうした基準で判断できるのか、と書いている。ちょっとした「戦術」の違いで合否が決まってしまう側面がある、ということです。しかし、AO入試にしても面接や論文重視にしても学生を「選抜」するのに完全無欠の方法はない、ということなんでしょう。そう考えれば、1点を競わせるのも「公平」なのかもしれません。いずれにせよ、日本は大学が多すぎます。
アゴラ編集部:石田 雅彦