本日は東大時代の同級生とがっつり飲んできました。
この同級生がかなり面白くて、文系のとある学部卒業したあと、外資系銀行に入行して、南米に移住してアナリスト始めたけどあまりにも仕事が退屈で映画ばっかり見てたら、「こんなとこでくすぶってる場合じゃない、私も映画とろう!」と思い立って、ニューヨークで映画学校入って、監督になった、という変わり種です。凄まじい経歴を持ちながら貧乏をしてやぶれた靴を履きながら有り金を全て映画に投入して、映画に情熱を燃やす三十路女子なのですが、ま~話があった。とりあえず
○肩書きと「べき」論から入って自由が無い日本社会の居づらさ
○逆にアーティストなど自由に生きてる風に見える人も「オレは自由に生きてるんだぜ」という風を吹かすためにすげえ不自由に生きててやっぱり居づらい。なんだかんだヨーロッパって日本より自由。
○そんな中で逆に色々制約ありながらも日本で社会人続けて家庭もってる同級生達って凄いよな。
的な話あたりで盛り上がる。んでもって今度は逆に、二人ともすっかり道から外れてしまった映画監督と一応物書き(笑)ということで表現者×アントレプレナーとして生きるってどういうことなんか、って話し合ってたんだけど、どうしても目の前の金を目当てにやりたくないことに走りがちだよねって話でひとしきり盛り上がる。映画も文章も既存の規範に併せて「上手くまとめる」ってことが求められるし、そこにニーズがあるのは分かるけど、そっちに行ったらなんか違うよな的な話。
例えば「我慢すれば報われる」「家族の絆で救われる」「ポジティブシンキングで未来を切り開く」的なメッセージって凄いニーズあるけど、それって本当なの???そう信じたいくらい世の中やってられない人が多いからそういう表現が求められるんじゃないの??? 現実はそんなにまとまってなくて、もっとドロドロで混沌、不幸にあふれているよね、、的な感じ。本当はそういう表現したくないけど、やっぱりそういう仕事が多い。
でも時間が限られているからそれで目の前の金に飛びつくとそれで手が埋まっちゃう。そう考えると自分のやりたいことを貫かないと表現者としては意味ないよな、っと熱くなってきて、出てきた結論は「揺るがないビジョンとどんなに金に困ってもここでやって行くんだという断固たる決意」が必要だよねって話。「自分はなにがなんでもこの価値を伝えたいんだ」という絶対にブレない将来イメージを持って、そこに向けてどんなに小さいところからでも、ツイッターでもyoutubeでもブログでも、はじめは金にならなくともよいから、発信を続けて積み重ねていくと少しずつ自分を支援してくれる人が現れてファンもついてくれるよねと。
自分の揺るがない将来ビジョンを描いてそこに向かって歩き始めないと、いつまでも自分ではない人生を歩むことになる。まぁ何の成功もおさめてない、三十路の若造二人の飲み話なんだけど、あらためて僕は自分の道を歩こうと決意しました。まぁ辛抱が無くてすっかり社会の道から外れちゃいましたからね(笑)
ではでは今日はこの辺で。
編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。