ウィーンに本部を置く国連工業開発機関(UNIDO)にコンサルタントとして勤務していた北朝鮮の尹ソンリム氏(Song Rim Yun)は1カ月前、UNIDOを去った。同氏のその後は不明だ。同氏はUNIDOで対北プロジェクトを担当してきた。UNIDO関係者は「彼はアジア部に所属していたが、1か月前からアジア部から去った。彼が今何をしているかは分からない」という。
▲尹氏が勤務していたウィーンのUNIDO本部(2013年5月、撮影)
尹氏の背景について少し説明する。
故金正日総書記の最初の夫人、故成恵琳夫人は李平氏と結婚し、一人娘(李オクトル)がいたが、金総書記の目に止まり、無理矢理に離婚させられ、同総書記と同棲した経緯がある。夫人と金総書記の間には長男・金正男氏が生まれた。成恵琳夫人は2002年、療養先のモスクワで死去した。夫人の墓はモスクワ西方のトロイェクロブスコイェ共同墓地にある。李平氏は金日成大学の研究者で、故金総書記とは同級生だった。すなわち、故金総書記は同級生の妻を奪ったわけだ。
一方、尹氏は故成恵琳夫人の娘・李オクトルと結婚した。尹氏は正男氏の義理の兄にあたる一方、金正恩第1書記とは遠縁関係だ。尹氏の本名は王ソンリムだ。どうして名前を変えたのか分からない。尹氏はフィンランドの北朝鮮参事官、ローマの国連食糧農業機関(FAO)などで勤務した後、90年後半からウィーンのUNIDOに務め始めた。自身をエコノミストと説明していた。
尹氏が李平氏と成恵琳夫人との間に生まれた娘・李オクトルさんと結婚したのは、故金正日総書記の意向があったと思われる。尹氏は、欧州に亡命した故成恵琳夫人の姉、成ヘラン家族と正男氏の動向を監視する役割を担っていたのではないか。欧州を度々訪問した正男氏は、尹氏と会っている。
正男氏は2004年11月、ウィーンを訪問した時、尹氏の自宅を訪問した。ちなみに、当時、正男氏暗殺情報が流れ、オーストリア内務省関係者は正男氏の身辺警備を強化する一方、駐オーストリアの北朝鮮大使に「暗殺中止」を求めるといった騒動があったが、正男氏はその時、ウィーン市内の見学を楽しんでいた。正男氏暗殺説はまったくの偽情報だったのだ。
尹氏は「正男氏からは定期的に電話あったが、ここ2年ほど、電話はない」という。正恩第1書記が政権を担当して以来、マカオに住む正男氏とのコンタクトが途絶えたというわけだ。正恩氏の意向が反映しているのだろう。
尹氏は平壌の政情に対しては「政治家ではないから何も言えない」と慎重だったが、核実験に対しては批判的だった。その理由について「核実験の結果、国際社会の制裁が強化され、外国企業の投資話も消えていくからだ。経済担当者にとって、どの国の核実験もマイナスだけだ」と説明していた。ただし、金ファミリーを直接批判することはなかった。
尹氏は平壌と海外居住の親戚の狭間にあって、ストレスの多い日々を送っていたのだろう。尹氏は慢性の胃痛に悩まされていた。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年11月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。