中国で5年に一度開催される重要会議の一つ、三中全会(党中央委員会第3回全体会議)が閉幕しました。開催前にはさまざまな噂が飛び交っていたものの、その結果は確かに玉虫色に見えます。それは従来から言われていた中国の開放路線の階段を少しずつのぼり続けるといったらよいのでしょうか?
習近平国家主席にカリスマ性がない、と言われている中で派閥間の調整をうまく行ったテクニックありの全体会議だとしたならば中国の根本問題の解決へ一歩踏み込まなかった後悔はあとあと残るかもしれません。
ごく一般的な経済発展モデルとして共産主義は経済が黎明期において大きな発展をします。その後、一定水準に上がった頃に資本主義のシステムに追い抜かれるとされています。ソ連が1930年代の世界大恐慌の頃も安定した成長を遂げ、そのシステムに注目されたのはよい例かと思います。中国においては黎明期をどの段階にするか、という疑問はあります。中華人民共和国が1949年に毛沢東主席によって建国されたものの文化大革命による国内混乱と76年の毛沢東主席の死去を踏まえれば78年からの鄧小平の時代から新たに経済を立て直してきたと見た方がすっきりするかもしれません。
その間、平均でも年10%近い経済成長率を遂げてきた中でWHO加盟にオリンピック、万博という二つの大きな世界的イベントをこなし、世界第二の経済大国まで上がってきたことで共産という本来のポリシーだけではワークしないことは中国自身がよくわかっていました。それ故に少しずつ、開放路線を継続するという流れで13億という民をうまくコントロールするという方針だったのだろうと思います。
が、世の中、特にグローバリゼーションは情報コントロールをしている中国においても急速に浸透しました。経済力の圧倒的違いを見せたひとつが97年の香港の返還、もう一つがインターネットやSNSによる情報の氾濫ではないでしょうか? これは今まで知らなかった事実を国民が知ることになり、民の統制という点において徐々にその困難性を高めてきました。更に不動産開発に伴う農民などからの土地の搾取は「誰が誰のために経済を支えているのか」という根本疑問を呈することになりました。民の急速な情報化と共産党の開放路線のスピード感の違いが今後、ますますギャップとなってくることは想像に難くありません。つまり、政府によるコントロールは更に難しくなるということです。
今、中国の将来を予見するに当たり、二つの明白な見方が存在します。中国のシステムは早晩ワークしなくなるという見方と中国はいずれまた、回復するであろう、という見方です。
私の見方は今のところ、運営はぎりぎりの綱渡りながらそれなりに旨くやっていると見ています。中国バブルは崩壊するとずいぶん前から取りざたされてきましたし私も懸念しておりましたが、今のところまだワークしています。もちろん、これがいつ音を立てて崩れるかは分かりません。一方、輸出産業についてみれば東南アジアなどが新たなる世界の工場となりつつある点は中国にとって憂慮すべき事態でしょう。
共産システムは本来であれば国民全体のボトムアップをさせるはずでしたが、結論的にはそれはほとんどワークしていたとは思えません。それはソ連しかり、北朝鮮しかりです。ソ連システムがなぜワークしなかったかといえばそれは働く意欲、モチベーションがゼロだったということです。私が83年に見たソ連はまさにウォッカと怠惰以外の何者でもなかったのです。
では開放路線と自由化を進めれば中国の13億の民は皆幸福になれるか、と言えば中華思想的な個人主義が跋扈しそのようにもならないと思います。平たく言えば、みんなの富より自分の財布ということでしょうか? ならば、このまま開放路線を続ければ富の格差は更に広がり、どこかで行き止まりが来てしまいます。
中国が綱渡りを延々と出来るとは思っていません。綱を太くするか、綱を短くしないといけなかったのですが、そのきっかけとなりうるはずの三全中会の結果はその期待からは遠かったと感じています。抜本的対策を採らぬままこのまま突き進めば状況は更に混迷を極めることもあるかも知れません。そのとき、困るのは中国のみならず、世界経済が大きく影響を受けることになるのです。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年11月14日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。