酒井順子さんの『ユーミンの罪』(講談社現代新書)を読んだ。あのベストセラー『負け犬の遠吠え』の著者が松任谷由実のことを書くのだ。読まざるを得ない。期待と、僅かな嫌な予感を胸に発売日に買い、女性誌に載る健康法をそのまま実践する負け犬女子のように無駄に半身浴しながら一気読みした。
最初に、酒井順子さんに言いたい。あなた、相当、ユーミンが好きだろ。
この本は、73年のデビューアルバム「ひこうき雲」から91年「DAWN PURPLE」まで20枚の代表的アルバムを振り返りつつ、その時代背景や、歌詞のメッセージなどを読み解いている。特に歌詞の意味の掘り下げが、実に丁寧である。ちょうど、図書館やブックオフでユーミンの旧譜をチェックするのがマイブームだったので、ちょうどタイミングが良かった。
私は80年代になんとなくラジオで流れているユーミンを聴き始めた。本格的に聴き始めたのは1988年の『Delight Slight Light KISS』あたりからだった。ちなみに、このアルバムタイトルの意味は「舌を入れないキス」らしい。ヒット曲「リフレインが叫んでる」が収録されている。
たぶん、このアルバムは数えきれない回数聴いているのだが、なんとなく聴き流していた「恋はNO-return」が、酒井順子さんの解説によると「カーセックスを断った女」のことを歌っていることに気づき驚いた。たしかに、断る描写や、リクライニングシートを起こす描写がある。しかし、なぜ25年も前から聴いているのに気づかなかったのだろう。まあ、それだけなんとなく聴いていたというのもあるのだけど。
ただ、この曲に限らずだがユーミンの歌には「除湿機能」があると酒井順子さんは指摘する。そう、湿っぽい性描写などを実にからっと歌い上げているのだ。たしかに、ユーミンを聴き始めた10代の頃は気づかなかったが、彼女の曲には、恋や、愛だけでなく、相当、性の臭いがある。それを見事にからっと歌い上げているのだった。
「卒業ソング」として知られている「卒業写真」ですら、化粧にお洒落に恋と変化していく女性と、変わらないあの人との差が描かれている。ちなみに、この曲「卒業ソング」ではなく、厳密には「卒業して数年ソング」だと酒井順子さんは指摘する。よく考えれば、一聴すれば明らかではある。ただ、このように、なんとなく頭の中に刷り込まれている。これもまたユーミンという存在なのだろう。
ユーミンの曲にはよく、クルマが登場する。配偶者であり、プロデューサーである松任谷正隆氏の影響もあるだろう(どうでもよいが、私はよく彼に似ていると言われる、見た目が)。いや、彼の影響はともかく、助手席に座る感覚が実によく描かれている。誰の助手席を選ぶか、運転する彼にどう指示するか。この「助手席感」の描き方が絶妙なのだ、ユーミンの曲は。彼女の手にかかれば、普通の中央道も、素敵な道に見えてくる。競馬場にビール工場か。ギャンブルで路頭に迷う者、工場で資本家に搾取される労働者など、彼女の歌にはもちろん描かれない。
さらには、ユーミンの曲には、恋愛にかける情念、時には怨念までが描かれる。時にはそれがテロ行為とも言えるものに至ることさえある。代表例が「真珠のピアス」である。これぞ、まさに「真珠爆弾」。ベッドの下に片方の真珠のピアスを捨てておけば、どんな人間関係だって終わらせることができるだろう。
時代背景と、歌詞の深読みが実に面白かった。酒井順子さんの視点、さすがである。
本書は「ユーミンの歌とは女の業(ごう)の肯定である」とする。もっとモテたい、もっとお洒落にしたい、もっと幸せになりたいという「もっともっと」という渇望、嫉妬や怨念、さらには復讐に嘘という黒い感情をも、ユーミンは肯定してきた。この「肯定」メッセージに「救われて」きた女性たちも多いことだろう。
もっとも、ユーミンが彼女たちを救いすぎてしまったがゆえに、人生をこじらせた人も多いかもしれないけれど。ユーミンに癒やされていたら、気付けば「負け犬」?
ユーミンは「女の業」を「肯定」しつつ、「甘い傷痕」を残してきたのだ。
もっとも、読み返してみて、これだけ日本人が恋愛に一生懸命だった時代があったのかと感じた次第である。若い世代はユーミンをどう聴くのだろうか。この本をどう読むのだろうか。大変に興味がある。