再処理をやめれば最終処分場はできる

池田 信夫

朝日新聞は、相変わらずネタとしておもしろい。けさの朝刊では「原発ごみ、行き場なし 使用済み核燃料、満杯状態」と不安をあおり、社説では小泉元首相の尻馬に乗って「原発ゼロ 最後は国民の意志だ」とうたい上げている。しかし国民の意志があれば原発ゴミはなくなるのだろうか?


アゴラこども版でも書いたように、原発を廃炉にしても使用ずみ核燃料は減らない。今の「満杯状態」ですべて廃炉にしたら、それによって出る核廃棄物は原発内の保管プールからあふれてしまう。こんな単純な話もわからない朝日新聞の論説委員は、小学校に入り直したほうがいい。

問題は原発をゼロにすることではなく、最終処分場を見つけることだ。その候補地はいくつか挙がっているが、最有力なのは六ヶ所村だろう。今は再処理工場に使うことになっているが、これは採算が合わない。非在来型ウランの埋蔵量は、OECDによれば300年から700年ある。海水ウランは9000年分あり、そのコストも在来型ウランの2倍まで下がっている。

キャプチャつまり核燃料サイクルは、そもそも経済的に意味がないのだ。右の表はバックエンドのコストについての原子力委員会の資料だが、再処理した場合のkWh単価は(割引率3%として)約2円だが、直接処理のコストは約1円。再処理の単価は、これから原発を減らしていくとするとさらに高くなる。

これは高速増殖炉(FBR)が実用化するという前提だが、FBRは過去の技術であり、専門家でも擁護する人はいない。再処理をやめれば、六ヶ所村の250km2の空き地の使い道がなくなるので、最終処分場に転用できる。これだけの面積があれば、原発を運転し続けても半永久的に収容できる。つまり最終処分場の問題は、原発ゼロにするかどうかとは独立に解決できるのだ。

核燃料サイクルを残す唯一の意味は、IFRなど次世代原子炉の技術的可能性を残せることだが、この実用化は10年以上先の話だ。原発の中の核燃料プールは、あと6年で一杯になる。少なくとも「全量再処理」という原則は修正し、直接処分の検討を始めるべきだ。そうしないと、核燃料プールがあふれてしまう。