「お局」不在が点睛を欠いていたドラマ『半沢直樹』 --- 佐藤 正幸

アゴラ

やっとドラマ『半沢直樹』を観た。

恥ずかしい話、これを観るまで「半沢直樹」というのは作家の名前だと思っていた。今や気分はすっかり東京中央銀行マンだ。今朝も半沢次長に「倍返し」される夢で起きた。

最終回の視聴率は35%を超えたといい、筆者の周りのサラリーマンたちも月曜日には「半沢直樹」の話をしていた。月曜朝の会議は半沢か当該の議題か、二分するほどだったそうだ。特に「タブレット上の空論だ!」とか「倍返しだ!」は会議で冗談半分に使っていたようだ。そういう会社は大丈夫なのだろうかとも思ってしまうが、この半沢人気をサラリーマン的視点で筆者なりに分析してみたいと思う。

なぜ『半沢直樹』は成功したのか。


それには2つの理由があると考える。

1つは主たる視聴者と考えられる日本のサラリーマンは慢性的なストレス状態であり、発散の場所を求めているというサラリーマン心理を巧妙についたマーケティングだ。

2012年の総務省統計局の統計では日本で働く人の内82.78%がサラリーマンだという。人数にすると6,209万人。(非正社員を含む被雇用者数)サラリーマンが人口の多数を占める日本の中で対象となる視聴者の数は圧倒的だ。

さらにこうしたサラリーマンの内、実に60%が職場や仕事に関するストレスや不満を抱えているという調査も出ていることから、ストレスを感じるサラリーマンたちの共感を誘ったのではないかと思われる。

どうも日本人は土日に自身の趣味などでストレスを解消するというのが苦手なようだ。土日でストレスを発散するよりも電車の中で隣りのおやじに絡んだり、女子高生に痴漢したり職場に近い環境でストレスを発散したいのだろう。いや、本当は職場でストレスを解消できるに越したことはないのだろう。

いつか「クソ上司」どもをみんなが見ている前でぎゃふんと言わせてやりたい。そういう心理をうまく突いたといえる。「東京中央銀行」は画面越しに視聴者であるサラリーマンに疑似空間を与え、自分自身に重なる半沢という人間を登場させバッサバッサと「クソ上司」を斬ってゆく。

この職場で感じているストレスを「東京中央銀行」という疑似空間で与える爽快感こそがサラリーマンたちの共感を呼んだといえるのではないか。

2つめは番組の設定時間だ。「半沢直樹」は日曜日の夜9時から。世の中のサラリーマンたちがビールを片手に家の中をうろうろする時間だ。間違いなく「明日から会社かぁ」と思っている時間だ。この時間に「東京中央銀行」という仮想空間で半沢がバッサバッサと「クソ上司」を斬っていく姿から明日への闘志が湧いたはずだ。サラリーマンスピリットを刺激した巧みな時間設定だといえる。

「半沢直樹」成功の秘訣はサラリーマン心をよく知る池井戸氏のアイデアとテレビ局の時間帯戦略によるものだろう。逆に言えば、半沢の成功は日本社会のサラリーマンがどれだけ職場でストレスを感じているか浮き彫りにしたともいえるのではないか。

「半沢直樹」でうっぷんを晴らしても、翌日から会社で不条理の渦に巻き込まれる。「半沢直樹」は終わった。もう日曜日にサラリーマンを励ましてくれる疑似的自分もいない。今度は自分たちが半沢になる番ではないのか。

しかし残念ながら、現実社会で半沢のように理路整然と、「クソ上司」の退路を断って戦えるようなことはあまりないのは筆者もよく分かる。あんな会社でギャンギャン騒いでいたらたとえ正しくてもお局などに「うるさい!」と嫌われてしまうだろう。

あのドラマに1つ欠けていることといえば、お局の社内政治力という会社組織で見落とせない点が抜けている点だ。生き字引であり強力な社内ネットワークを有するお局を怒らすと仕事にならないばかりか、社内で散々な噂をまかれ社内でも立場がなくなる。お局の政治力も絡めて描くと半沢の世界に深みが出たのではと、お局に「倍返し」されてばかりだった筆者はそう思うのである。

佐藤 正幸
World Review通信アフリカ情報局 局長
アフリカ料理研究家、元内閣府大臣政務官秘書、衆議院議員秘書
Twitter@Tetsutochi
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