“クリスマス”って「何の日」? --- 長谷川 良

アゴラ

12月24日はクリスマス・イブ、明日25日はイエスが誕生した日だ(イエスの生誕日の真偽についてはここでは議論しない)。世界の到る所で多くのキリスト信者がイエスの生誕日を祝う。これほど多くの人々からその誕生日を祝われる人はこの地上ではイエスだけだろう。


しかし、私たちはイエスのことをどれだけ知っているだろうか。「ナザレのイエス」がどうして33歳で十字架に行かざるを得なかったか。その時、父親ヨゼフやマリアはどうしていたのか。なぜ、メシアの降臨を願っていた当時のユダヤの人々がイエスを迫害したのか。なぜイエスはもう一度、降臨しなければならないのか。再臨する時、イエスはどうして再び迫害されなければならないのか、等々、イエスの33歳の生涯とその言動には多くの謎がある。世界的な神学者として誉れの高い前ローマ法王べネディクト16世が昨年、その神学の知識を駆使して書き上げた「ナザレのイエス」3部作は残念ながら上記の問いに明確に答えていない。

例えば、キリスト教会は「イエスの十字架の道は必然、不可避であり、神の計画(摂理)に基づく」と主張してきた。そして十字架上のイエスを仰ぐことで罪から救われるという。本当だろうか、過去、イエスの十字架を仰ぐことで罪から解放され、完全に救われた信者たちはいたか。聖パウロ自身が告白しているように、イエスの十字架を信じる敬虔な信者ですら、完全には救われていない、という現実がある。

イエスはメシアとして神の国を建設するために生誕された。33歳の若さで殉教の道を行くのがイエスの使命ではなかったはずだ。新約聖書の「ヨハネによる福音書」5章を読んで頂きたい。イエスは「私は父の名によって来たのに、あなたがたは私を受け入れない」と嘆いている。十字架の道がイエスの使命だったら、嘆く必要はない。「コリント人への第1の手紙」2章8節では、「この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし、知っていたならば、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう」と記述されている。この聖句は決定的だ(「なぜ、イエスは十字架に行ったか」2012年4月9日参考)。

ただし、イエスはその後、十字架の道を妨げようとする弟子ペテロに「サタンよ、引き下がれ」(マタイによる福音書16章23節)と責めている。この聖句だけを読めば、イエスは人類の罪を背負い、十字架にいくために降臨されたと受け取れる。すなわち、聖書には、全く矛盾する内容が予言されているわけだ。なぜか。人間の自由と責任という問題が関与してくるからだ。イエスに従うか、迫害するかは、人間の責任領域に属する。神は強制できないのだ。取って食べるな、という戒めも、エバとアダムが食べるか、戒めを守るかはエバとアダムの問題だった。聖書の中の矛盾する箇所はこのように解釈することで克服できるわけだ。

それでは、イエスは聖母マリアの処女懐胎によって生まれたのか。そうではない。例えば、英国の著作家マーク・ギブス氏(Mark Gibbs)は著書「聖家族の秘密」(Secrets of the Holy Family)の中で「イエスが聖母マリアの処女懐胎によって生まれたのではなく、祭司ザカリアとヨセフの許婚者マリアとの間に生まれた子供だった」と主張している。
 
ギブス氏によれば、「聖母マリアの処女懐胎説は後日、イエスの神性を強調するために作成されたもので、実際は祭司長ザカリアとマリアとの間に生まれた子供であった。イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちがその事実を知っていた。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリアは殺される羽目に追い込まれた」というわけだ(「イエスの父親はザカリアだ」2011年2月13日参考)。
 
イエスの生誕を祝うクリスマスを前に上記のような内容を紹介したのは、イエスがどのようにして生まれ、なぜ迫害され、十字架に行かざるを得なかったか等を理解することで、33歳で亡くなったキリスト・イエスの苦悩が分かり、もっと愛おしく感じることができるのではないか、と思ったからだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年12月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。