今回の猪瀬知事退陣劇を目の当たりにして、何とも言えない後味の悪さが残った。
石原知事が退任した時は1000人の職員がバンドつき、紙ふぶきつきで見送ったのに対し、猪瀬知事の場合は60人程度の職員が葬式のような静けさの中で見送ったと言う。
これも[用なし]には振り向きもしない、「功利的」な日本の厳しい現実かも知れない。
今回の問題の性質や猪瀬氏の態度などから、猪瀬氏を庇う余地なしと言う意見には異論はないが、見送りの寂しさは判るとしても、退任の挨拶に訪れた猪瀬氏との面会すら拒否した都議会自民党には、「手の平を返すとはこの事かと思わせるはしたなさすら感じた。
これも、都民の人気取りにはこれに限ると言う都議会自民党の計算だろうが、猪瀬氏個人とは離れて「知事職」に対する尊厳を表す為にも、離任挨拶を受けるくらいのプロトコールは守って欲しかった。
外交はもちろん、民意の代表者同士の関係には個人と個人の関係と異なる守るべき「プロトコール」があり、これを無視すれば「下卑た者」として軽蔑されるのが世界の現実である。
一方、私がこのような気持ちを持つこと自体、一昔前に池田弥三郎先生が言われた「弱者の位置に立たされたものに対して、正当の理解や冷静な批判をかいた軽率な同情」だと言う軽蔑の対象となるかも知れないが、最低のプロトコールを守るべきだと言う私の考えに何の後ろめたさも感じない。
多くの実績を残した「石原知事」を支えた副知事時代の功績と、430万票余りの支持を得て知事に当選し、石原氏の果たせぬ夢であったオリンピックの東京招致を成功させた猪瀬さんには、「色々なことがありましたが、ご苦労様でした。これからもお元気にご活躍下さい」と言う労いの言葉をかけておきたい。
2013年12月26日
北村隆司