先日はクリスマスにちなんで、安彦良和のマンガ『イエス』などを紹介したが、私もブログ記事を転載投稿しているアゴラに、イエスの生誕の謎に関する興味深い論考が掲載されていたので、それについて少しだけ考察してみたい。長谷川良氏の記事「“クリスマス”って「何の日」?」で、以下のように述べられている。
イエスは聖母マリアの処女懐胎によって生まれたのか。そうではない。例えば、英国の著作家マーク・ギブス氏(Mark Gibbs)は著書「聖家族の秘密」(Secrets of the Holy Family)の中で「イエスが聖母マリアの処女懐胎によって生まれたのではなく、祭司ザカリアとヨセフの許婚者マリアとの間に生まれた子供だった」と主張している。
マリヤの処女懐胎はキリスト教神学では「常識」となっているが、一般的にはにわかに信じ難いことは確かである。ヨセフは養父であって、血のつながった父親ではないわけで、ではイエスの父とは一体誰なのかという疑問が湧いてくることは自然だ。
この疑問を解く鍵はイエスの家系図の謎にあると思われる。新約聖書を開くとまず、マタイによる福音書のアブラハムからイエスに至るまでの系図が記されている。日本人にとっては、聞いたこともないカタカナの名前が長々と書き連ねられており、大方の読者はここで眠くなり挫折する箇所だ。池田信夫氏は”「イエス・キリスト」という逆説”という記事で、「イエスは処女懐胎で生まれたのだから、父親が誰の子孫だろうと意味がない。」と述べているが、確かにヨセフはイエスの実の父ではないので、いくらヨセフがアブラハムやダビデの子孫だろうと意味がない。
しかし、この系図を注意深く読むと不思議な点に気付く。イエスの母であるマリヤ以外に、男系の系図の中に4人の女性の名前が出てくるのである。すなわち、タマル、ラハブ、ルツ、そしてウリヤの妻だ。しかも、これらの女性はいわゆる一般的な結婚で子どもを宿したわけではなく、社会通念的には(今日的な意味においても、ユダヤ教社会ではとりわけ)いわくつきのかたちで身籠っているのである。
ここでは詳細を省くが、タマルは夫とその代わりである弟に先立たれたあげく、遊女のふりをして義父をだましその子ども宿した。普通なら殺されてもおかしくないいまわしい事件なわけだが、血統を残すために命をかけたという点から旧約聖書のなかでは評価されているふしがある。他の女性に関してもそれぞれ異なるが似たような経緯を経ているのである。
これらの女性4人が、イエスの系図のなかに、その母マリヤの名前とともに並べられていることに何らかの暗示を感じざるをえない。
次の謎解きの鍵として、マリヤが懐胎した前後の経緯が比較的詳細に記されている聖書の箇所を読んでみたい。これはルカによる福音書に詳しい。以下、該当する原文を抜粋する。
すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。(中略)」。
そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。神には、なんでもできないことはありません」。
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤ(高位の祭司であり、エリサベツの夫)の家にはいってエリサベツにあいさつした。エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。
するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。(中略)」
マリヤは、エリサベツのところ(つまりザカリヤの家)に三か月ほど滞在してから、家に帰った。
(中略…この間、ザカリヤとエリサベツの子ヨハネが生まれ、マリヤは妊娠する。)それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。(マタイによる福音書1.30-2.5)
つまり、マリヤが天使から告知を受けイエスを懐胎する前の3ヶ月間、マリヤは祭司ザカリヤとその妻エリサベツのところに滞在していたのである。これとイエスの系図に現れる女性4人の謎を合わせて考えるとき、イエスの父に関して否応にも一つの可能性を考えざるを得ない。ここで結論づけることは避けたいが、処女懐胎という先入観を取り除くと、大いなる謎が秘められているように思えるのである。
そうだからといって、私はイエスの価値が下がるようなことは全くないと思っている。逆に、ザカリヤの長子が名高きバプテスマ(洗礼)のヨハネであり、イエスの価値ををまず最初に認めた人物であることを考えると、その意味の深さが感じられるのである。旧約聖書の多くの場面では兄弟間の葛藤の物語が記されているからだ。
こんなことを書くとキリスト教信者の方には軽蔑されるかもしれないし、そうでない多くの日本人にはどうでもいいと思われるかもしれない。とはいえ、イエスという30そこらの田舎者の若造が、世界の歴史を創ってしまったわけだから、その出自が処女懐胎ではなく特定の父によって生まれたのであるなら、歴史のお茶の間がひっくり返るような、そんなざわめきを感じるのである。
学びのエバンジェリスト
本山勝寛
http://d.hatena.ne.jp/theternal/
「学びの革命」をテーマに著作多数。国内外で社会変革を手掛けるアジア最大級のNGO日本財団で国際協力に従事、世界中を駆け回っている。ハーバード大学院国際教育政策専攻修士過程修了、東京大学工学部システム創成学科卒。1男2女のイクメン父として、独自の子育て論も展開。アゴラ/BLOGOSブロガー(月間20万PV)。著書『16倍速勉強法』『16倍速仕事術』(光文社)、『マンガ勉強法』(ソフトバンク)、『YouTube英語勉強法』(サンマーク出版)、『お金がなくても東大合格、英語がダメでもハーバード留学、僕の独学戦記』(ダイヤモンド社)など。