南スーダンは2011年7月、イスラム教主導のスーダン(北部)から独立したが、昨年7月解任されたマシャール前副大統領が同年12月14日、軍クーデターを行い、内紛が勃発し、多数の犠牲者、避難民が出ている。同紛争を調停するためエチオピアの首都アディスアベバで4日から和平交渉が開かれているが、戦闘は依然続いている。なお、日本は12年1月から国連南スーダン・ミッション(UNMISS)に要員を派遣している。
▲インタビューに応えるシャリフ記者(2014年1月4日、ウィーンで撮影 )
そこでスーダン出身のHORNA(ホルン・アフリカ通信社)のアブダラ・シャリフ国連記者に南スーダンの内紛の背景、和平の見通しなどについて聞いた。
──まず、南スーダンの内戦の主因は何だったのか
「スーダン人民解放軍/運動(SPLA/M)は1983年、ジョン・ガラン大佐を中心にディンカ、ヌエル、シュルクの3部族から創設された。88年、89年頃に入るとSPLAは分裂し、マシャール氏はハルツーム政府と和平で一時合意したが、数年後、再びガラン氏が率いるSPLA/Mに合流した、といった経緯がある。現在の部族闘争はガラン大佐の死後(2005年7月)、次第に表面化してきた。ガラン大佐の後継者サルバ・キール大統領は前任者のようなカリスマ性はなく、軍と情報機関に従事してきた人物で、具体的な政務能力には欠けている。一方、マシャール副大統領は大学教授でもあったし、行政能力に長けたエリート出身だ。キ?ル大統領が昨年7月、ヌエル派のマシャール副大統領を解任したことから、マシャール氏を中心に軍クーデターが勃発したわけだ。南スーダンの紛争は宗教戦争、民族紛争でもなく、部族間の紛争だ。紛争の芽はSPLA/Mの創設時から既に内包されてきたものだ」
──部族間の勢力を説明してほしい。
「南スーダンは約800万人、そのうち約300万人がディンカ部族に属し、200万人がヌエル部族、約100万人がシュルク部族だ。エクアトリア地域には多数の少数部族が住んでいる。ヌエル部族はキール政権に対し国家財産、収入、人事などで公平な配分を求めてきた。残念ながら、キール大統領はヌエル派の要求を無視してきた。そのため、マシャール氏を支持する部族が集合し、反キール政権で結集し、軍クーデターを起こしたわけだ。南スーダンは10州から構成されているが、反政府派が占領しているのは現在3州だが、いずれも主要州だ」
──北スーダンの反応はどうか。
「ハルツーム(スーダンの首都)では『それ見たことか』といった声も聞くが、南スーダンの部族闘争の拡大、長期間は願っていない。南スーダンの原油生産が中止となれば北側も経済ダメージを受けるからだ。北側は南の原油をパイプラインで輸送し、外貨を稼いでいるからだ」
──スーダンには約100万人の中国人が原油関連企業に従事しているが、中国の反応はどうか。
「北部のスーダンと同様、南の部族闘争の早期解決を願いっている。中国は南の首都ジュバにも大使館を開いている。中国はスーダン全般の政情安定を期待している点でハルツーム政府と変わらない。ただし、中国は外部からの関与には反対している。その点、南北両スーダン政府は同意見だ」
──東アフリカ諸国の地域機構「政府間開発機構(IGAD)が仲介してエチオピアの首都アディスアベバで4日から政府代表とマシャール反政府側の交渉が開始されたが、和平の見通しはどうか。
「早期和解を期待している。南スーダンの収入の90%以上は原油関連産業からだ。部族間の紛争が長期化すれば、同国経済は破滅的ダメージを受ける。一方、スーダン、中国、アフリカ同盟(AU)など関係国も部族間紛争の即停止を要求している。部族間の紛争が続き、多くの犠牲者が今後も出るようだと、国連安保理が制裁を実施するだろう。その意味で、南スーダン政府と反政府側は和平交渉で合意を強いられるだろう」
──紛争が激化すれば、国連派遣団の安全にも影響が出るのではないか。
「ジュバに駐留している限り、安全だろう。部族間の紛争が沈静するまで慎重に事態を静観すべきだ。ただし、派遣団の撤退といった緊急処置は必要ではないし、好ましくもない」
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年1月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。