もちろん内需が縮んでいるとはいっても、昨対で1%とか減っているとかいうことではありません。
国立社会保障・人口問題研究所によると総人口の減少は2005年から始まっていると推計されてます。
どの程度かというと、05年の人口は1億2777万人だったそうです。で、こっちの総務省統計局の公表データによると、2013年は1億2727万人で,前年同月に比べると23万人の減少、0.18%減っています。(同統計によると2008年は日本の全ての地域で自然減少に陥っています)
そういった意味では、ちゃんとヒト生きているわけですから、あまり消費自体が縮むことって心配いらなそうですよね。・・さらっと数字だけ聞くと。
でも日本はかたや世界一の長寿国です。近年でも徐々に高齢者が長生きになっています。出生率はまだ減ってるけど、高齢者の平均年齢はまだ伸びてるんで総数微減なんですよ。
さっきの国立社会保障・人口問題研究所の統計によると、2000年には24%だった世帯主が65歳以上世帯の比率が、2025年の37%に上昇する予定です。
地域別にみると2000年の首都圏20%~四国30%が、2025年は首都圏36%~四国41%にまで上昇します。とくに大都市圏で高齢世帯比率が急上昇するんですねぇ。
で
なぜ加藤がこのように若者が減ると、消費財でマーケットシェア下位のはたいへんだ、と思っているかというと、やっぱり、買い替え=ブランドスイッチが起こるのは若い人(が、ほとんど)だ、と思うからです。
私はそもそも「広告の目的」というのは、ブランドスイッチ(或いは刷り込み)だと考えています。
消費者に対し広告活動を通じて、今お使いになられているモノから新しい別のモノに「買い替える」事を促す、ということです。
企業は広告会社の知恵なども使いながら、これから売りたい商品を訴求するべく、アイデアを提供したり、パッケージやコピーを変えたり、人気タレントを起用したり、店頭プロモーションしたり、値引きしたり、特典をつけたりして、通常購入している同カテゴリー商品との差異をうたいます。
若者は人生経験が短いので、まだ「ブランドを決めていない」し、お年寄りに比べて可処分所得も少ないので、ちょっとしたメッセージやきっかけ、価格差、景品(おまけ等)のインセンティブで、今まで買っていたモノを替えてくれるんです。
一方で
高齢者ってのは、ちょっとやそっとのことではブランドを替えてくれないんですよね。
シャンプーも焼酎も雑誌もトイレの洗剤も替えない。
半額であっても、キューピーマヨネーズを味の素マヨネーズには替えない。
好きな俳優が広告に出てても、長年乗っているニッサンをホンダには替えない。
金銀パールが当たるかもしれなくても、アタックをブルーダイヤには替えない。
タダで貰ったとしても、キリンラガー以外は飲まない。 →うちの親父がまさにそうです。
まぁ言い換えればロイヤル・カスタマーですな。
いつも使っている消費財を、違うブランドから発売されているものに替えれば、もしかしたら値引きや景品等といった・・・目に見えるメリットを遥かに凌ぐ、今までよりもいい体験、美味しい思い、新しい発見があるかもしれません。
それでも高齢者は概して 新しいことを試しません。 なぜか。
保守的になっているからです。いつもと違う行動を取れば=冒険すれば、成功するかもしれないけど、失敗するかもしれない。多少安いもの、目先の変わったものを買って、いつもとは違う食感や使用感で嫌な思いをしたくないのです。
そう、いつも買っているものさえ買えば、少なくとも「知っている」ので失敗することはないのです。
僕は 老いの本質とは、行動が保守的になること、ではないか、と思ってます。
さておき、今後の日本、すなわち広告が刺さらない人=ブランドを替えない人々=高齢者が購入のボリュームを占めるようになればなるほど、、いま勝ち組の、シェア上位の消費財メーカーは広告をしないでも売上・利益は上がるはずなんですな。
だから、広告はますます効かなくなる。すなわち広告も売れなくなるってことではないか、と。
故に、逆にいま国内でシェア下位の消費財会社は厳しいですよ。
市場が縮んでパイが小さくなる=分け前が小さくなる だけではありません。
高齢化社会では、新たな消費者(ファン)を獲得するのがますます困難になるのです。
だからこそ、そういった中堅中小の会社であるほど、椅子取りゲームの椅子が増えてっている=パイがどんどん大きくなっている東南アジアの新市場に新規参入したほうがいい!と主張している毎日です。