今年も、例年通り、一部の成人式は荒れていたようだ。大阪市では、拡声器を大騒ぎしていた若者に対し、橋下市長は「出て行きなさい!」と一喝。それがメディアで報道されて話題になった。橋下氏に怒られた若者たちは、きっと報道を見て自分たちの事を誇らしげに感じたに違いない。
成人式で暴れる若者は、恐らく、Twitterで悪い事を自慢げに拡散する若者と同じ種類だと思う。きっと、同年代の自分と同じ様な考えの人からのみ、「スゲー!」と言われる事がやりたくて仕方ないのだ。
そんな若者は、自分の個性を尊重する様にという教育を受けてきた。とはいえ、実際に自分の友達から一目を置かれる事なんて、特に何も無いという人が多い。だから、馬鹿げた事の競い合いが行われる。
この構図は、非常に矛盾だらけだと思う。何故なら、ゆとり教育は個性を尊重して、学校での競争を否定している。しかし、実際に自分の個性を他人に証明するためには競争が必要で、成人式で騒ぐという様な、若者の変な事合戦が生まれてしまうのだ。
現在、昔に比べて成人式が荒れていたり、バカッターの様な事が横行するのは、この様に若者が自信を持てる競争がないからなのだろう。昔は、勉強やスポーツといった、正統派な競争で自信を持てなかった人のみが、妙な事で自信を持とうとしていたのだろう。だから、正統派な競争が消滅した今、妙な事をやる若者が増えるのは当然だと思う。
華麗な人生を送ってきて、最初から自分に何か誇れる物があった人には、下らない事でも自分に自信が持てるという事のイメージがわかないかもしれない。なので、私の留学時代の恥ずかしいエピソードを付け加えておく。
私が二十歳の頃は、アメリカに留学していた。アメリカ人達の仲間の中では、特に自分に自信を持てる事は、一つもなかった。勉強では助けてもらっていたし、言葉だって十分に通じない。車だって持ってなかったので乗せてもらったりと、あらゆる場面で助けられていた。そんなアメリカ人の友人に対して、私は自分自身の存在価値に自信が持てず、単なる足でまといという気がしていた。
日本人は数学が得意な人が多い。だから、数学な苦手なアメリカ人に、数学のテストを教えたりする事で自分に自信を持つ日本人留学生は多くいた。また、スポーツやテレビゲームなどのできる留学生は、それらを通じて自分の存在に自信を持ったという人も多かったようだ。
そうやって、何らかの理由でアメリカ人からも「あいつは凄い!」という一目を置かれる瞬間があった時、集団の一員としての自分の存在意義を見つける様だ。しかしながら、私はスポーツも勉強もテレビゲームも得意ではない。なので、そういった方法では自分の存在意義を自分の中で見つけられなかった。
結局、私が自分の存在意義を見つけたのは、恥ずかしながら「早食い+大食い」だった。私は細身の割に、大量に食べる。なので、食堂で私の食いっぷりに気づいたアメリカ人が、早食い勝負を挑んできた。その挑戦に勝利した後、校内で「日本から来たスゲー奴がいるらしい!」という私の評判が出回って、色々な人と大食いや早食いで争い勝利していった。
そんな下らない事でも、同年代の仲間から一目を置かれたことで、気づいたら私は自分の存在に対する自信を持っていた。そして、アメリカ人の友人に対しても、対等に振る舞えるようになった。
私のような、勉強にもスポーツでも自分に自信の持てなかった人は、こうやって何か変な事で自信を持とうとする。これは成人式で騒ぐ若者も同じだと思う。だけど、それは我々の様な落ちこぼれだけで十分だ。
正統派な事で自信を持てる人には、正統派な競争で自信を持てる機会を与えて欲しい。そうでないと、私の様な落ちこぼれたちだけしか競争していなかった、変な事合戦という分野が競争過多になってしまう。それにより、我々にとっては最後の手段すらなくなってしまうし、参戦者が多ければ競争がエスカレートして、とんでもない事が起きてしまう確率も高まるだろう。
人間は競争する生き物だ。だから、学校で競争する事を避けても、結局は別の形で競争してしまう。競争を避ける教育によって、自分に自信の持てない若者の大量生産を行うのは、そろそろ止めた方がいいと思う。
渡辺 龍太
WORLD REVIEW編集長
主にジャーナリスト・ラジオMCなどを行なっている
著書「思わず人に言いたくなる伝染病の話(長崎出版)」
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編集部より:このブログは「World Review 編集長 渡辺龍太のブログ」2014年1月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はWorld Review 編集長 渡辺龍太のブログをご覧ください。