敗戦を知らずにフィリッピンのジャングルで30年も抵抗を続けた小野田寛郎元少尉が、帰国40周年を2ヶ月後に控えた16日に、91歳の天寿を全うされた。
帰国後の小野田さんの言動には「軍人精神の権化」「軍国主義の亡霊」等と毀誉褒貶が相半ばしたが、反日感情が消えなかった当時のフィリッピンのマルコズ大統領までが「立派な軍人」だとして、小野田さんの犯した殺戮行為に特赦を与えた事は、小野田さんの私心のない忠誠心に打たれたからに違いない。
その為か、小野田さんの「私は戦場での三十年、生きる意味を真剣に考えた。戦前、人々は命を惜しむなと教えられ、死を覚悟して生きた。戦後、日本人は何かを命がけでやることを否定してしまった。覚悟しないで生きられる時代は、いい時代である。だが、死を意識しないことで、日本人は生きることをおろそかにしてしまっていないだろうか。」と言う何気ない言葉にも教えられる処が多い。
その小野田さんは、戦後日本の物質文化に違和感を感じ、次兄の住むブラジルに渡り牧場経営者として成功されるが、そこでも勝ち組(農村部の信念派)と負け組み(都市部の指導者層に多い認識派)の争いに挟まれ苦労したと言う。
そして、凶悪な少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛め再び帰国した小野田さんは「小野田自然塾」を開講し子供たちを相手に自然教育に没頭した。
こうして小野田さんの人生を俯瞰して見ると、中野学校にその意志の強さと知的で私心のない性格を見抜かれて徴用された時から、戦争に翻弄された不幸な人生が始まった様に思える。
それに比べ、フィリピンのジャングルで小野田さんを発見し、帰国のお膳立てをした戦後生まれの鈴木紀夫さんの人生は、同じ波乱に満ちた人生でも自分で選んだ人生だけに明るさがある。
主にヒッチハイクで世界の隅々まで放浪していた鈴木さんは、ゲリラ活動を展開していた小野田さんに会うためにフィリッピンのジャングルに分け入り、初対面の際には銃を向けられて発砲される危険にさらされたという。
「パンダ・小野田さん・雪男」に会うと言う愉快な夢を持った鈴木さんは、最後に残された夢である雪男に会う為に登っていたヒマラヤ・ダウラギリIV峰ベースキャンプ附近で遭難し、38年の短い人生を終えた。
鈴木さんが、自分で生きる意味を真剣に考えて選んだのも死の危険に晒された冒険人生だが、外部の力に強制された小野田さんの人生とは異なり、自分に危険はあっても、誰一人他人を傷つける事もない平和な人生で「戦後、日本人は何かを命がけでやることを否定してしまった。」と言う小野田さんの指摘は、鈴木さんの人生には当たらない。
小野田さんの「死を意識しないことで、日本人は生きることをおろそかにしてしまっていないだろうか?」と言う心配は、自分の選択を超えて国に命を捧げる他に道がなかった小野田さんには想像も出来ない「平和ボケと「自立性を失いつつある日本人への深い懸念の表明だったのかも知れない。
日本を「平和ボケ」にした犯人として良く槍玉に上がるのが偏向報道番組だが、最近「生活番組の悪影響の方が大きいのでは? と思うようになった。
その一例がNHKの人気番組と聞く「あさイチ」である。
時間の関係もありこれまで覗いた事もなかった番組は生活番組に分類され昼間家庭に留まるご婦人方や老人を主たる視聴者とした番組らしいが。何かにつけ愚痴を奨励し、問題があったら政府にねだれと繰り返すペット犬の訓練番組みたいなものである。
子育て問題でも、自立を遅らせる為の手法(子離れ、親離れ遅延術)を専門家に解説させるなど、「独立自尊」を重視する欧米の世相では考えられない内容の番組である。
消費増税であたかも餓死者が出るような事を言うかと思うと、一貫した反企業、反自立のトーンには驚くばかりで、家庭に残された主婦や子供を相手とするこの番組の悪影響は、報道番組より遙かに大きい様に思う。
大変な人気アナウンサーと聞く司会役を務める女性キャスターの下品さも酷いが、「NHK番組を見ていたら馬鹿になる」と喝破したと言う田母神将軍には、生まれて初めてうなずいてしまった。
田母神将軍を支持する保守系の活動家でもあった小野田さんが「日本人は生きることをおろそかにしてしまっていないだろうか?」と嘆いたのも、大衆うけを狙って下らぬ事にうつつを抜かし、重要な問題では「他人依存を奨励する」番組の横行に落胆した言葉であったのかも知れない。
愚かなプロデユーサーの書いたシナリオに踊らされ、大の大人が一斉に気勢を上げながらジャンプしたり、子供じみたジェスチャーをする番組を見ていると、番組出演者の姿と、戦争のプロデユーサーである軍の指揮に従った小野田さんの姿とが重なり、戦争と番組の違いはあれ、プロデユーサーの影響力に改めて恐ろしさを募らせた。
自分の人生を選択できなかった小野田さんが戦争犠牲者であったように、同じ様な価値観を持ったプロデユーサーの書くシナリオに支配されたTV番組しか選択出来ない日本国民も、偏向報道犠牲者であろう。
歯止めを失った戦争とマスコミは誠に恐ろしい。
2014年1月19日
北村隆司