福島第一原発事故は「人災」だったのか

池田 信夫

きのう放送された文化放送オトナカレッジスペシャル「田原総一朗のオフレコ!」では、2時間にわたって畑村洋太郎氏(元政府事故調委員長)の話を聞いた。「取材は断ってきたが、これだけは言っておきたい」という話はとても興味深く、貴重な教訓だと思うのでメモしておこう(前半1時間はニコニコ動画で聞ける)。


田原氏の「福島事故は天災か人災か」という質問に対して、畑村氏は「あれを人災と考えたとき、問題の本質が見失われた」と答えた。「人々はどこかに悪いやつがいると考え、犯人を見つけたら安心するが、最大の失敗は1000年に1度の大震災を想定外にしたこと。そもそも問題が存在しなかったのだから、誰が間違えたとか誰が悪いとか議論しても意味がない」。彼が事故調の報告書の最後で書いた教訓のうち、もっとも重要なのは次の2つだという。

 ・ありうることは起こる
 ・人は見たくないものは見ない

これは私もコメントしたように、経済学でいうフレーミングの問題である。人々は意思決定するとき必ずフレームを設定し、「ありうるが起こらない」と思うことを除外する。このとき除外された問題は、フレームの中でいくら対策を施しても解決しないので、テールリスクは必ず残る。

フレームの中の問題を怠けて解決しなかったのなら、原子力村が悪いとか御用学者が悪いという話もありうるが、官民ふくめてフレームの外に置いていたのだから、決定的な問題はフレーミングの誤りであって、「原子力ムラ」の官民癒着を糾弾する国会事故調のような通俗的な話ではない。

このような再帰的リスクは無限退行になり、絶対の正解は存在しない。しかしそういう哲学的な問題はマスコミにはわからないので、彼らは「悪いのは**だから、そいつをたたけば問題は解決する」という勧善懲悪の問題にすり替える。そして役所は、いったん起こった事故と同じタイプの事故の再発を防ごうと、何重にも防水工事をさせ、独立行政委員会をつくって過剰介入させる。

しかし畑村氏が明言したように、こういう後知恵の対策では安全性は高まらない。それは既知のフレームの中で対応しているだけで、次の事故は人々が「見たくない」部分で起こるからだ。くだらない犯人さがしより大事なのは、まだ誰も想定していない事故を想定することだ。次のテールリスクは直下型地震かもしれないし、老朽火力の事故による大停電かもしれない。