アジェンダ(議題)をコントロールする外交力 - 人質にとられた靖国神社

矢澤 豊

ネット時代のニュース速度のおかげで、いささか旧聞に属する話になるかもしれないが、オバマ大統領の一般教書演説において、アジアの安全保障は特に語られなかった。せっかちなジャーナリストのなかには、「オバマはアジア重視の態度を捨てたのか」などと書くものもいる。


冷静に考えれば、中間選挙を控えた今年、オバマ政権とアメリカ民主党にとって、国内政策の重要性が先行しているということなのだろう。

思い返せば2001年9.11の同時テロ、そしてその直後の2002年の一般教書演説でブッシュ大統領が「悪の枢軸」を名指し批判して以来、年数にして1ダース。アメリカ政府も外交・戦争に疲れているようだ。また外交戦力の主力はTPP交渉に手一杯という台所事情もあるのかもしれない。

ダヴォスでの安倍首相の発言(そして舞台裏の努力)で、アジアの安全保障ということが国際社会の重要なアジェンダ(議題)になるかと思われた。またそうすることが、安倍政権の狙いであったはずだった。しかし、こうした外交攻勢も安倍首相の靖国参拝に始まる行動と、中國政府の海外メディアを通じた攻勢によって、「日本の右傾化」というストーリーラインの中に埋没していった観がある。

時同じくしてフィリピンのアキノ大統領は、安倍首相の「第一次世界大戦直前との比較」などとはケタ違いな「中國発の領海/領土問題」をヒトラーのズデーデン割譲に比喩するという発言をした。この発言もそれなりに注目を集めたが、残念ながらフィリピン政府には外交アジェンダを左右するには力不足のようだ。アキノ大統領は孤立無援の中、中國のメディア攻勢の集中砲火を浴びている

ダヴォスで安倍首相はCNNの看板番組である「Fareed Zakaria GPS」のインタビューを受けた。このインタビューに関しては安倍首相の
パフォーマンスに関して色々発言があったが、私はインタビューのアジェンダに興味がひかれた。ザカリア氏の質問は3つ。日中関係、第三の矢(特に硬直した雇用制度の改革)、そしてなぜか和歌山県太地市のイルカ漁の話題だった。

動物愛護が重要ではないとはいわないが、あえてイルカ問題に言及したのは、事前のインタビュー内容の交渉の時点で、当然質問にあがるべき「靖国参拝」について語ることを、安倍首相側が拒否したか、またはCNN側が不当とした、またはその両方だろう。「靖国」の質問ができないので「イルカ」になったと、私には思われるのである。

アメリカとしてはアジアの安全保障問題という大きなくくりの中で、世界的に最も注目される日中関係において、自らが「調停役」として花を持つ形で「緩和」をプロデュースしたいと思っている。ケリー、ヘーゲル両長官の千鳥ヶ淵戦没者墓苑への参拝も、安倍政権/自民党への牽制として、そうしたアメリカの外交努力の一環としての布石だった。彼らの顔に直接泥をぬった形となった安倍首相の靖国参拝後、ケリー長官は日本政府の招聘を断って、中國と韓国を訪問している。あわてたように岸田外相が先日訪米してケリー氏と会談し、外面ををとりつくろった格好だ。

アメリカ、そしてもちろん中國は、日本政府に対してもう二度と首相と閣僚の靖国参拝を行わないよう、プレッシャーをかけている。そして中國としてはこれを以前のように「密約」としてではなく、公の場での確約としてとりつけなければ収まらないというのが本音だろう。日中国交回復時の故田中首相にまでさかのぼる、日中間の「密約」外交にはもう効き目がないということは、すでに明白だ。

こうした米中政府の要求の裏には、これ以上いうこときかないと、朝鮮半島の安全保障問題に関して日本を蚊帳の外におくぞ、という交渉がされているのではないかと私には思える。靖国参拝と拉致被害者救済とが、トレードオフになってしまったという、外交上の「風が吹いて桶屋が儲かる」である。

(一部には安倍政権はインド政府を通じて、単独で北朝鮮政府に対し拉致被害者の帰国交渉を行っているという憶測があるようだが、もしこれが真実だとすると、対北朝鮮問題に関する日米韓の協力体制に大きな溝を生むことになるだろう。)

こうした背景から、CNNで「靖国参拝」に関する質問がなかったんじゃないかと、私は推測している。これ以上安倍首相が「靖国参拝」について公に語ることは、日米(そして中國、韓国)にとって百害あって一利なしという状況になってしまった。

安倍首相の靖国参拝は、ご本人にとっては日本国民の一部の支持を固めるということで、メリットがあったのだろうが、日本という国の外交上でのデメリットは高くつきすぎている。また英霊の御霊を思うとき、政治外交というテーブルのポーカーチップに身を落としまった靖国神社は、賽銭箱の中身は別として、「鎮魂」という大きな目的を失いつつあるように思えてならない。国家百年の計を考えたとき、それは日本国民にとって不幸なことだ。