「平和ボケ」以前の時代 - 『戦争の日本中世史』

池田 信夫



本書は元寇から応仁の乱までの約200年間の歴史を、戦争という観点から概観したものだ。室町時代は日本史の中では地味だが、著者はそれを戦争の中で生きた武士の生活から描く。彼らは従来は「武士道」といった形で美化され、それを批判する唯物史観では「革命」の担い手として描かれたが、実際の武士は死を恐れ、最小限の犠牲で勝負をつけた。

テレビでは多くの軍勢による合戦が描かれるが、鎌倉時代までの戦争は双方から「やぁやぁわれこそは」と名乗り出て、一騎打ちで負けたら戦いを終える儀式的なものだった。室町時代以降は集団で戦うようになったが、それでも1回の合戦の戦死者は数百人で、大部分が自害だった。

この点は(本書は言及していないが)西洋の中世と同じで、刀と鉄砲ぐらいでは大量虐殺はできない。西洋では16世紀に軍事革命が起こり、爆弾や大砲などの重火器が発達した。これが戦争の決め手になったので資本主義が発達し、巨額の資本を調達できる国家が戦争に勝ち残り、都市国家が主権国家に統一されていった――というのが、マクニール『戦争の世界史』の歴史観である。

これに対して日本では、幸か不幸か軍事革命は起こらなかったため、戦国時代が終わると「平和ボケ」が続き、全国300の藩を統一する国家が明治時代までできなかった。西洋の国家は戦争に勝つことに最適化され、指揮系統を明らかにするために法が整備されたが、日本では戦争の必要がないため、いまだに首相と法制局長のどっちがどっちに命令するのかわからない人が国会にも多い。

武士の社会史としてはおもしろいが、著者の前著が「一揆」という視点で中世史をシャープに切り取ったのに対して、本書は切り口がはっきりしない。副題にある「下剋上」も最後に1ページほど出てくるだけだ。唯物史観を批判するだけでなく、新しい発想がほしい。