依然治まらない「報道の物語化」と言う、一億総白痴化の危険!

北村 隆司

2月14日の産経電子版【ネットろんだん】に「割烹着とベートーベン 問われた『物語』重視報道の是非」と言う記事が出ている。

この記事は新型万能細胞「STAP細胞」の作製に成功した小保方さんをめぐる報道について、英国在住の谷本真由美氏が「発見そのものに関する説明は控えめで、業績には関係のない情報ばかりが報道されています」と日本の新聞を批判した事に触発されて書かれた物らしい。


産経の記事は「STAP細胞」の作製成功直後に発覚した作曲家の代作事件にも触れ、内容より「物語」を重視する報道の是非については賛否両論を併記しているだけで、何故か自ら是非の結論を出す事は避けている。
もっとも「マスメディアの価値判断についてよく言われる例えが、『犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかむとニュースになる』。「誰が」に注目し、掘り下げようとするのはメディアの本能ともいえるが、偏り過ぎれば業績や作品の価値判断が甘くなり、本末転倒の事態も生じかねない。メディアに多くの教訓を刻んだ2つの事案だった」と結ぶ事で、「何故」とか「何が」と言う本質論を掘り下げようとしない「日本メディアの実態」をさらけ出した処が面白い。

日本では今から半世紀以上も前の1957年に、故大宅壮一氏が「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。」と 喝破したように「報道の一億総白痴化運動」は今や伝統になって仕舞ったのが情けない。

それにしても、新聞社の集中するフリート街と言えばエリートを象徴する代名詞で有った時代もあった英国でも、最近はマードック・メディア王国のスキャンダルでも判る通り、金儲け主義のイエロージャーナリズムの跋扈に悩まされているが、その英国に居住する谷本氏から見ても、余りに酷すぎる日本のマスコミに腹を据えかねた批判記事であろう事は良く理解できる。

報道の「物語化の行き過ぎ」で恐ろしいのは、本質と物語の主客転倒より「主題」と「本質」の見えない白痴的ジャーナリストの横行である。

その具体例を特定秘密保護法を巡る報道の中から拾って見ると。公明党が特定秘密保護法に関するプロジェクトチーム(PT)の会合を国会内で開き、政府による秘密指定の妥当性を監視する国会機関を常設機関として設置する骨子案を示し、監視機関の制度設計を詰めた上で国会法改正案の今国会提出を目指すように提言したのに対し、自民党の特定秘密保護法に関するPT座長の町村信孝氏が :
(1)「議会が秘密情報を逐一チェックしている国はどこにもない」から、常設の監視機関の設置の必要性は疑問。
(2)「海外で活動する情報機関もないのに、国会に常設の委員会を作るのはバランスを失している。

と述べて常設監視機関の設置には慎重な姿勢を示したと言う記事が出た。

誰が見ても事実に反する町村氏のこのトンデモ発言も酷いが、更に恐ろしいのは、この暴言を検証する事もせず何の疑問も呈しない日本の報道陣の「あきめくら症状」である。

日本の調査報道は他人のスキャンダルを暴く週刊誌位しか無いことは知っていても、日本の将来を左右する「秘密保護法」の行き過ぎをチェックする立場にあるマスコミが、町村発言の誤りを見抜く知識もなく、重大発言の真偽を確かめようともしない怠惰加減にはあきれる以上に「秘密保護法」の今後の運営に恐ろしさすら感じる。

町村氏の発言に反して「議会が秘密情報を逐一チェックしている」具体例を見て見よう。

誰でも知っている通り、米国の統治制度は厳格な三権分立による、チェックアンドバランスの上に成り立っており、米国議会の重要な任務の一つに行政を監督する権限の行使がある。

日本のような官僚制度が憲法に違反する米国では、議会にほぼ無制限の行政監督権が付与されており、その調査結果はレポートとして公開されるのが原則である。

議会の行政監督権限の法的根拠は、議会の権限を定めた米国憲法第一条の所謂「必要かつ適切条項( The Necessary and Proper Clause)」と、俗称「歳出権限条項(the Power of the Purse)」と呼ばれる議会に予算の独占権を与えた条項で、特に議会の意向を無視した行政行為には予算を与えない権限を持つ「歳出権限条項(the Power of the Purse)」は、行政の行き過ぎを抑える手段としてヴェトナム戦争の拡大阻止などに威力を発揮して来た条項である。

議会の行政監査の中心となるのが、議会内で行政機能ごとに設置された委員会の下に設けられた行政監査小委員会である。

中でも情報機関の場合、政策責任者に必要な情報の供給充足度、情報分析の質、情報活動の違法性の有無など個別具体的な活動の執行責任など監督項目が細かに規定され、この監督業務は行政と議会の共同責任で行なう事になっている。

膨大な立法作業や専門家の調査が必要な監督業務などの議会の任務を果たす為に、米国議会では下院では平均 68 名、上院で 46名のスタッフが各委員会に与えられ、その上に下院議員は年間一人当たり831,252ドルの予算内で18人まで個人スタッフを雇用する事を認められ、上院議員は選出州の人口により議員一人当たり年間約260万ドルから420万ドルの範囲内でスタッフを雇用する事が認められているが、これ等のスタッフの採用は全て議員の裁量によるもので、ボスが落選したり、ボスの満足する仕事が出来なければ職を失う事になる。

このように、上下両院議員に認められたスタッフは合計で約1万2千名に及ぶ上に、各委員会のスタッフ合計約 2,500名や党や委員会の幹部スタッフとして約 280名、更に議会全体のスタッフとして約 5,000名が夫々の要望に応えて常時活躍している。又、これ等スタッフは全て政治任用で、日本の公務員のような職の安定はない。

ここに書いたように、常設の監視機関設置の必要性に疑問を抱く理由として町村氏が挙げた「議会が秘密情報を逐一チェックしている国はどこにもない」と言う論拠が、事実無根である事は明白である。

参考までに追記すると、米国では議会自身の他に立法府付属型の組織として3,500人の陣容を擁し捜査権を含む大幅な権限を持つ「略称GAOと呼ばれる政府会計・財政責任監督庁(日本の会計検査院)」や議員の立法活動を補佐するための「議会調査局(C R S)」等が活発な活動を行っており、CRSは東日本大震災及びそれに伴う原子力災害についても、地震発生の数日後から多数のリポートを作成しその後も更新を繰り返している。

それでも充実したマスコミの調査報道や内部告発を歓迎する世相に助けられたスノーデン事件で明らかになったように、「情報機関の暗部」の存在は防げず、現在も上院情報委員会を中心に監督組織の改組が審議されている。

次に「海外で活動する情報機関もないのに、国会に常設の委員会を作るのはバランスを失している」と言う発言だか、これも事実ではない。

日本では内閣情報調査室(Cabinet Intelligence and Research Office)を中心にして警察庁警備局(公安警察)、外務省国際情報統括官組織、防衛省情報本部、公安調査庁、海上保安庁などが海外諜報活動にも従事している。

また、内閣官房には日本の情報機関の元締め的な性質を持つ内閣情報調査室(内調)が設置され、海外の情報機関との公式なカウンターパートとなり、定期的に首相に内外の情勢報告を行っている。

これら人的諜報活動の他に、内閣衛星情報センター(Cabinet Satellite Intelligence Center)を置き、国の安全の確保をはじめ、内閣の重要政策に関する情報収集衛星(Information Gathering Satellite、IGS)と言う実質的な偵察衛星の運用と情報の分析や調査に従事しているが、この衛星はそもそも1998年に北朝鮮が発射した何らかの“飛翔体”(弾道ミサイルテポドン1号)が三陸沖の太平洋に落下するまで感知出来なかった事に衝撃を受けた与党(当時)の自民党の、独自に偵察能力を獲得することへの要求が高まり、情報収集衛星の導入が閣議決定され2011年までに8,181億円強の予算が投じられている。

泣く子も黙る特別高等警察を監督する内務省警保局長を父に持つ町村氏の発言は、外部監査の無い治安維持法を理想にした発言かもしれないが、米国留学経験もあり外務大臣も歴任した町村氏が今でもこんな馬鹿げたことを発言するのは、同氏が(1)余程の馬鹿か(2)国民を騙す為の意図的発言か(3)外部監査を嫌う官僚の作文をそのまま読み上げた愚かな操り人形のどちらかとしか思えない。

私は日本にも何らかの形の「秘密保護法」は必要だと考えているが、秘密に関する立法理念や技術が格段に劣り、制度的なインフラも国民の関心も薄っぺらな日本での「秘密保護法」の運用には大きな不安を抱いている。

その上、秘密保護に経験豊富な欧米の民主国家でも、マスコミが秘密保護の行き過ぎを抑える有力な機関として機能してやっと可能になった適正な秘密保護法の運用を、マスコミが全く機能しない日本で適正運用する為には、イエロージャーリズムを好む日本国民も大いに反省をしなければならない。

この辺で、日本を普通の国にする為にも我々の監視レベルを高め、何とかマスコミの「1億総白痴化運動」を阻止したいものである。

2014年2月16日
北村隆司