日本経済団体連合会、略して経団連は1948年に生まれ、日本の三大経済団体の一つであり、1300社以上の一流企業の会員を擁す集まりであります。その発言は労使間交渉の指針に大きく影響するほか、政府との経済関係のパイプとしての役割も大きなものであります。但し、その歴代会長の顔ぶれを見ればわかるのですが、かなり製造業に偏った力関係があるのも事実です。
2002年に経団連は日本経営者団体連盟と一体化したのですが、その双方の歴代の会長で製造業出身ではない会長は東電と日本郵船出身の会長だけのようです。つまり、製造業ニッポンを地で行くと言っても過言ではないのです。
その経団連の現会長、住友化学の米倉弘昌氏は退任が間近でありますが、ご本人としてはほっとしているはずでしょう。氏は安倍首相と折が合わず、大ゲンカしたこともあり、双方、プライドの塊であるせいかしっくりいかない状態だったはずです。その安倍首相も米倉氏とはウマが合わなくても経団連とは寄り添わなくてはいけない事実がありました。そう、賃上げ、しかも一時金ではなく、ベアとしてであります。その最大効率の効果を上げるには1300社の日本を代表する企業を擁する経団連の協力がなくては出来ないものなのです。
ところでその米倉氏の後任人事については実に苦戦したと言ってもよいでしょう。最終的に東レの榊原定征氏に収まったのですが、本命は日立の河村隆会長でした。が、その河村会長、固辞し続け、経団連に見向きもしなかったのであります。
理由は言葉にこそしていませんが、経団連という護送船団に別れを告げた、と割り切ったような気がします。
経団連の印象は「十把一絡げ」というのが私の印象です。1300社の意見を一つに集約し、一定の力をもって交渉に当たる、というストーリーは理解できなくもないのですが、業界団体と比べてどうなのかな、という気がします。それ以上に製造業を要とする団体運営が世の中の新たなる動きについていけないような感じも見受けられます。
印象的だったのが楽天が退会した時ですが、氏の背中を押した理由がその保守性でこの会がグローバル化に対応できるのか疑心暗鬼だったと記憶しています。これだけの会社が集まれば意見を集約するのは本来難しいもので産業によりメリット、デメリットは当然生じます。それでも多くの一流企業がそこに寄り添うのは寄らば大樹の陰のようにみえるのです。三木谷社長は自分で道を切り開くタイプですから経団連という屏風は必要なかった、ということでしょう。
もっとも経団連が今後、なくなるとは思っておりません。ある意味、戦後日本経済の要の一つだったわけですからこの団体が存在する意義を時代の変化とともに再考してもよいのではないでしょうか? 名だたる企業が会長、副会長のポストを占め、そこに所属するだけでうれしいと考えている企業が8割以上を占めているとすれば何のための団体かわからなくなります。
また、情報が次々と発信される時代において経団連からのアウトプットを見かけることは案外ありません。団体としての外部への発信力は当然問われるでしょう。そのあたりも含め、その在り方が変わってくれば日本経済にまた新風を吹き込むことができるでしょう。
外から見ると日本はやはりとても閉鎖的で対外交渉が上手ではなく、理論武装にも欠ける企業が多く、一匹オオカミでやり抜くぐらいの意気込みが感じられる企業がもっと育ってほしいな、というのが私の個人的な印象であります。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年2月23日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。