ポルトガルのシンドラー --- 長谷川 良

アゴラ

音楽の都ウィーン市で最も長い通り名(Strassename)をご存知だろうか。「アリスティデス・デ・ソウザ・メンデス通り」だ。言葉の響きからポルトガル人の名前と分かった人は言語に相当通じた人だろう。その通りだ。メンデスは1885年生まれのポルトガル外交官だ。同外交官は“ポルトガルのシンドラー”と呼ばれ、イスラエルから「諸国民の中で正義の人」として称えられている外交官だ。


当方は昨年、「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day) に合わせて「ホロコーストと正義の外交官たち」(2013年1月28日)というコラムを書いたが、その中でイスラエル人の救済者として最も良く知られているスウェーデン人外交官ラウル・ワレンバーク(1912~47年)を紹介した。

同外交官は駐在先のハンガリーで約10万人のユダヤ人たちにスウェーデンの保護証書を発行して救った(同外交官はナチス軍の敗北後、ハンガリーに侵入してきたソ連軍によって拉致され、ソ連の刑務所で射殺された)。

日本では「日本のシンドラー」と呼ばれた駐リトアニア領事代理の杉原千畝(1900~86年)は良く知られているが、「ポルトガルのシンドラー」といわれるメンデスの名前は余り知られていない。

メンデスは1885年、カバナス・デ・ヴィリアト生まれ。父親は裁判官で地方の貴族に属する家庭で育った。コインブラ大学で法学を学ぶ。1910年から外交官。在ボルトーのポルトガル領事館総領事として勤務していた時(1940年6月)、ナチス・ドイツ軍の侵攻から逃れる約3万人の難民(その内、約10000人がユダヤ人)を救済するため、ワレンバークと同様、本国の命令に反して通過ビザを発行した。そのため、メンデスは解雇されている。1954年4月3日、リスボンの病院で亡くなった。68歳だった。

ところで、東京の図書館で今月、「アンネの日記」やその関連図書が破損されるという事件が起きたという。犯人はまだ捕まっていない。犯人像としては、反ユダヤ主義に基づくものか、隣国から「ヒトラー」呼ばわりされている安倍晋三首相のイメージ・ダウンを狙った犯行かで見解が分かれているという。

文藝春秋社発行の雑誌『マルコポーロ』が1995年、「ナチス・ドイツ軍がユダヤ人を虐殺するために使用した『ガス室』は存在しなかった」という記事を掲載し、世界ユダヤ協会などから激しい批判を受けた。同雑誌は広告拒否などもあって廃刊に追い込まれた。

当方は当時、その件でウィーンのサイモン・ヴィーゼンタール氏と緊急会見したことがある。ヴィーゼンタール氏の言葉は厳しかったが、「ユダヤ人は素晴らしい日本人を知っている」と述べ、杉原千畝の名前を挙げ、「この件でユダヤ民族と日本人の関係が悪化することはない」と語ってくれたことを今でも鮮明に覚えている。

ユダヤ民族は迫害した者を許さないが、助けてくれた人物に対しては決して忘れない。メンデスの命のビザ発行をいつまでも称え続けている民族なのだ。

「アンネの日記」破損事件が早急に解決されることを願う。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年2月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。