日韓の和解に寄与した人々の話をしよう --- 長谷川 良

アゴラ

ウクライナ経済専門家に聞く — 長谷川 良

ローマ・カトリック教会のローマ法王フランシスコの訪韓がいよいよ具体化してきた。韓国のメディアによると、バチカン使節団が先日、法王訪韓を念頭に置いた事前実地調査を実施したという。訪韓時期は8月の予定だ。


中央日報日本語電子版は3月4日、「第6回アジア青年大会が8月13~17日に大田や忠清南道一帯で開かれる。法王庁の実態調査団は大田教区の行事候補地も訪問して細かく妥当性の調査をした」と報じている。

ちなみに、法王訪韓時に実施予定の 列福式の候補地が検討されているという。1984年にヨハネ・パウロ2世が訪韓してミサを行った時は、ヨイド広場に約100万人の信者が集まった。

中央日報は法王の訪韓の意義と期待について、「法王の訪韓が韓国社会に投げかけるメッセージは大きい。慶煕大学の宋在龍教授(社会学)はフランシスコ法王のキーワードに『感性と包容、和解』を挙げた。宋教授は『宗教の核心』は許しだという。フランシスコ法王のリーダーシップ、彼の言葉と行動には許しの解決法がある。それを通じて韓国社会が癒され、疎通し、温かい血が戻るきっかけになればいい」と報じている。

中央日報の記事を読んでいると、反日報道に明け暮れる韓国メディアと韓国社会がフランシスコ法王の訪韓を契機に、日本との「正しい歴史認識問題」でコペルニクス的転回が生じるかもしれない、という淡い期待が生まれてくる。
 
韓国は今、反日で日本の過去問題を執拗に批判し、世界各地で慰安婦像を建立し、日本の罪悪を罵っている。朴槿恵大統領は訪問先で“告げ口外交”を展開し、尹炳世外交部長官が国連人権理事会で日本の慰安婦問題を批判したばかりだ。国を挙げて反日運動を推進中だ。

そこにフランシスコ法王が訪韓し、新約聖書「マタイによる福音書」第7章1節─4節のイエスの言葉を韓国国民に語り掛けるシーンを想像してほしい。

イエスは「人を裁くな。自分が裁かれないためである。あなたがたが裁くそのさばきで、自分も裁かれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分も量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目からちりを取られてください、と言えようか」と述べている。キリスト信者ならば良く知っている個所だ。

韓国社会の現状は残念ながらイエスの福音とは180度異なる。「全て悪いのは日本だ」と主張し続けているのだ。

イエスの「自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか」という箇所を一度、真剣に考えるべきだろう。

韓国は世界的に性犯罪多発国であり、ベトナム戦争時では韓国兵士たちがベトナム女性を蹂躙してきた。その韓国人が戦争時の日本軍の性犯罪を追及し、「あなたの目からちりを取らしてください」と叫んでいるのだ。

フランシスコ法王の説教に国民が覚醒し、再出発できれば、韓国は真の指導国家となれる道が開かれるかもしれない。韓国メディアも同様だ。

米ユダヤ教宗派間対話促進委員会事務局長のラビ、デヴィト・ローゼン師(David Rosen)は昨年11月、当方との会見の中で、「メディアは良きことは報道ぜす、悪いことだけを強調する。世界には悪いことより、良いことがもっと多くあるのだ」と語ってくれたことがある(「反ユダヤ主義は耐性化ウィルスか」2013年11月20日参考)。

日韓両国の歴史にも悪いことだけではなく、良いことも多くあったはずだ。両国のメディアはそれらの人々を競って探し出し、報道していけば、両国の国民は相手の間違いを許し、その善行には心から感謝の思いが湧いてくるのではないか。

日韓両国メディアが連携して、「日韓の和解と発展に貢献した人々」という企画を連載してみたらどうだろうか。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年3月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。