”偏差値主義”が日本から突然消滅したら物凄くヤバイことが起きますよ!

倉本 圭造

茂木健一郎氏が、予備校と偏差値主義をぶっ壊せ的ツイートをされたそうです。(詳しい発言たちへのリンクと、それに対するマトモな反論は常見陽平氏の記事がよくまとまっていると思ったのでどうぞ)

これを読んで私が思ったことは、おそらく茂木健一郎氏は生まれてこのかた、それなりに「偏差値の高い」人にだけ囲まれて、「偏差値の高い人たちのコミュニティ」の中での内輪の会話だけをして、「偏差値の高い人たちのための仕事」をしながら生きてこられたのだろうなということです。

そして、

その「偏差値主義に守られた世界」の外側の”リアル・ワールド”まで含めて考えると、もし明日日本から突然偏差値主義的なものが一切消えてしまったら、

物凄くヤバイこと

になるぜ・・・・と私は「体験的」に感じています。


私はそれなりに「偏差値の高い」大学を出て、アメリカの経営コンサルティング会社に入ったのですが、その後思うところあって(まさに茂木健一郎の発言の奥底にある思いそのものだと思います)、「偏差値主義的な学歴に守られていない世界」に次々と潜入して働いていたことがあります。

物凄くブラックかつ、詐欺一歩手前の浄水器の訪問販売会社に潜入していたこともありますし、物流倉庫の肉体労働をしていたこともありますし、ホストクラブや、時には新興宗教団体に潜入してフィールドワークをしていたこともあります。(なんでそんなアホなことをしようとしたのかなどの詳細はコチラをどうぞ)

その体験から言うんですが、世の中には「偏差値主義で守られた世界の外側」に、物凄くたくさんの「反知性主義者(いやシュギってもんじゃないんですが)」さんたちが生きている領域があるんですよね。

だから、明日いきなり偏差値主義みたいなのがネコソギ消えてなくなると、社会全体における「知性の尊重」みたいな風土全体がどっかに吹き飛んでしまって、大袈裟に言えば現代文明が維持できなくなるんですよ。

で、しかも日本の場合難しいのは、彼らに「偏差値や学歴」ではない形での「知性主義」を無理やり押し付けようとするっていうのも難しいんですよね。

彼らには、「必要な時に必要なだけ”知性”に対する敬意を持ってもらいつつ、彼らなりのアイデンティティや自己効力感は持っておいてもらう」っていうバランスが非常に大事なんですよ。社会の最適な運営のためにはね。

というのも、茂木健一郎氏のような立場の人は、実は「より強烈な偏差値主義志向」なんですよね。(発言の裏の彼の本当の願いはともかくとしてその発言自体をとってみると)

茂木氏のツイートのようにハーバード大学には「偏差値」はないかもしれないが、逆にアメリカは「学位」ってものに対する「社会的な認証力」がありえないほど強いので、「有名大学同士の順列」は日本ほどハッキリしてないかもしれないが、社会全体で見た「アカデミック的なもの」に対する「偏差値主義」は日本と比べ物にならないぐらい強烈なんですよ。

その結果、「アカデミックな客観知のシステム」においてトップ10%とかの物凄い勉強ができる・・・っていうタイプじゃない人で、かつオリンピック級のスポーツ選手とか圧倒的なアーティストとかじゃない人たち・・・・に対するエンパワーは日本に比べて物凄く弱くなっちゃうんですよね。

で、一方で現状の日本のシステムは、そういう「普通の人たち」に対して「勉強はできなかったかもしれないが、俺達は俺たちなりの仁義を持って生きてるんだぜ」的なハリを与えることには成功してるじゃないですか。

要するにアメリカは「アカデミックな客観知のシステム」自体に物凄い強烈な偏差値主義的信仰を与えている結果として「各大学の偏差値」は気にしなくて良くなってるんですが、その結果社会の価値観が一方向にガツンと統一されてしまうんで、「勉強はできないかもしれないが、俺っちは俺たちなりに頭はいいぜ」的な方向での「それぞれの知性の形に対するダイバシティの認証」みたいなのが凄く弱くなるんですよね。

だから「学歴的なシステムの外側」の領域で生きている人たちの効力感をネコソギにしちゃってスラム化しちゃうんですよ。

もちろん、茂木氏のツイートの「根っこにある思い」自体は、私も凄くわかるんですよね。だからさっき書いたようなアホな探求をやってきたわけなので。

でもね、これはただ「偏差値主義を批判」するだけでは絶対解決しない、むしろ余計に解決から遠のく問題なんですよ。

そのあたりは、私の新著「日本がアメリカに勝つ方法」に詳述してあるのでお読みいただければと思います。

「タイトルからして凄い安易な煽り本だと思って読んだけど全然違った!」という感想をよく頂いているので、偏見抜きでぜひ手にとっていただければと思います。(概要にあたる序文がこちらで読めます)

要するに、アメリカみたいに「ほんの一部のエリートが超絶活躍しつつ、残りの8割はかなりヤバイ状況になっている」・・・という世界にならないように、日本の良さを維持したまま、茂木氏のツイートにあるような「願い」を実現するには、

「それ専門」の特注的な方法

が必要なんですよ。ただ素朴に「ペーパーテストなんてくだらねーぜ!」とか吠えてたって余計にコジレるだけなんですよね。

これは私のようにアホな探求を長期間かけてやってこないと本当にはわからないことだと思うので、ぜひ耳を傾けて欲しい意見なんですよ。

また、ここでは詳述できなかった、「科学というものと日本との根底的な関係に対する考察」については、以下のブログをどうぞ↓

●実写版宇宙戦艦ヤマトが、なぜチャチに感じてしまうのか?から考える「科学と日本」。

あと、常見陽平氏もおっしゃっていましたが、私の個人的感覚から言っても、高校の先生の10の25乗倍ぐらい、「予備校の先生」から、私は「学問的なものの深み」やら「真実に対する探究心」みたいなものを教えてもらったと思っています。彼らへの敬意みたいなのはやっぱり大事だと思いますよ!

倉本圭造(経営コンサルタント・経済思想家)
http://keizokuramoto.blogspot.jp/