在オランダ・ハーグの米大使官邸でオバマ大統領の仲介のもと安倍晋三首相と朴槿恵大統領の初の日韓首脳会談が行われた。朴大統領が前日、疲労が蓄積したため夕食会などの公式行事を欠席した、というニュースが流れてきていたので心配したが、日米韓首脳会談は実現された。安倍首相と朴大統領にとっては初の会談だ。
首脳会談の議題には「正しい歴史認識」問題が含まれていなかったこともあって大きな意見の対立はなく、北朝鮮の核問題への対応で3国首脳は一致したという。
現地からの報道によると、安倍首相は韓国語で「マンナソ パンガプスムニダ」(お会いできてうれしいです)」と朴大統領に挨拶したが、朴大統領はまったく表情を変えなかったという。韓国の中央日報日本語電子版は3月27日、「安倍首相、韓国語のあいさつに、朴大統領、無表情」と報じている。第1回の首脳会談だけでは、これまでの険悪な両国関係を一挙に改善することは難しいのは当然だろう。
ここでは「批判してきた側」の「心理」状況について分析を試みた。この場合、批判される側は安倍首相だ。批判する側は“告げ口外交”を展開させてきた朴大統領だ。
はっきりしたことは、批判されたきた側が批判してた側と会合した時、有利な心理状況に立つということが追認された。逆に、批判してきた側はその相手が眼前にいる場合、どうしても気が引けてくる傾向がみられることだ。
どうしてだろうか、批判の中には事実より過大な表現や言葉があったからかもしれない。批判された側から質問された場合、どのように説明しようかと考えてしまう。換言すれば、批判してきた側は批判されてきた者より内省的になりやすい。
一方、批判されたきた側は批判する側の説明を聞きたいという思いが強い。批判された時は受け身だったが、批判する者と会談した時は立場が逆転する。より積極的に批判者と向かい合うことができる。
安倍首相は朴大統領との会談では朴大統領より気楽に会談に臨めたのではないだろうか。一方、朴大統領は安倍首相との初会合を考え過ぎて前日、体調を崩してしまったというのが真相ではないか。
安倍首相の韓国語のあいさつに対して日本語で切り返すといった洒落た対応もできたはずだが、無表情で聞き流してしまった。大統領の無表情は韓国の国内向け、という解釈も聞かれるが、批判してきた者は心理的に追い込まれているのだ。批判は人間生来の本性に反するだけに、多くの不必要なエネルギーが必要となるから、疲れやすくなる一方、時として空虚感も出てくる。
目の前にいない人物を批判する時、注意が必要だろう。その人物と会った時、心理状況は快いものではないからだ。どうしても批判しなければならない時はその対象が目の前にいる時に限るべきだろう。これが安倍首相と朴大統領の初の首脳会談の心理分析から引き出せる教訓ではないだろうか。
昔から賢人といわれた人は、相手を批判せず、批判されることを甘受してきた人物たちが多い。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年3月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。