片方向の詰め込み型から脱却すべき日本的表現 --- 酒井 峻一

アゴラ

私は今までに様々なWebサイトを見てきましたが、基本的に日本のサイトはせせこましく(ごちゃごちゃしている)、欧米のサイトはスッキリとしていると感じています。

皆さんも日本企業の日本語版の通販サイトやニュースサイトを英語圏のそれと見比べたときに、同じような印象をもったことがあるでしょう(同じ日本企業でもグローバル化が浸透している自動車メーカーや電機メーカーのWebサイトは割とシンプルです)。


このような違いが生じる要因の一つとして、日本人は国土(とくに平地面積)が狭い環境下で工夫しながら暮らしてきたので、Web上でも空白ができることは「もったいない」と思っていることが挙げられるのではないでしょうか。

Webページは国土ほど節約しながら使用しなくてもよいはずですが、日本人は情報を詰め込みたがっているように思えます。私を含めて、日本人はごちゃごちゃしていることに安心感を抱くといってもよいかもしれません。

同じような発想はテレビCMにも見られます。日本のテレビCMは15秒か30秒にほぼ統一されており、その多くは著名人かモデルを使って特定商品を売り込むことに終始しています。これも高価で貴重なCM時間にできるだけ多くの情報を効率的に詰め込みたいという想いの表れでしょう。

一方、欧米企業のCMはというと、YouTubeで公式動画が視聴できるように、日本のような詰め込み型もありますが、Coca-ColaやNIKEのCMに象徴されるように、映画のようなシーンを経てから最後に企業名が登場するだけのものが目に付きます。

こちらのタイプは、短い時間内で特定商品を強く売り込むのではなく、日立グループの「日立の樹」のように、企業全体のブランドイメージを高めることに力点をおいています。商品の内容が既に知られている場合には、こうやって全体のブランドイメージを高める方がよいのかもしれません。

私は単純に前者が悪くて後者が良いとは思いません。業種、知名度、媒体、目的、地域などを勘案したうえで表現の態様は使い分けるべきであって、一様に良い悪いは決めつけられません。

ただ、テレビと内需が中心となり消費者の好みが画一的だった時代の宣伝は、消費者に対して一方的に売り込むばかりでも成功していましたが、ソーシャルメディアとグローバル化と多様化が進展している現代では、企業は消費者の意識が自発的に企業と商品群に向かうような戦略をとる方がよいのかもしれません。

それは例えば、消費者はAppleの商品群を買えば、AppleがCMやApple Storeにて魅せたイメージをかっこよく共有でき、購入後も高い満足感に浸れるという形です(Apple Store自体も詰め込みとは逆のシンプル路線です)。そうやって消費者からの中毒的で自発的な支持を得られたところに、独占的で高い利益があるのだと思います。

『近代:社会科学の基礎』著者(個人事業主)
酒井 峻一
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