私大文系学生向け「あほロアー」戦略

新田 哲史

大学はそろそろ新学期の講義がスタートだろう。何かと「意識高い」系言説のシャワーを浴びる時節。身の丈を忘れず、「あほロアー」たることを自覚すべしと説いたのは先日の記事のとおりだ。特に国立大学と併願せず、英語等の文系科目でしか受験勉強をしていなかった私立文系の学生は「全能感」に陥りやすい。何を隠そう「都の西北大学」法学部に在籍していた私もそうだった。だから今回はそんな学生向けの「あほロアー」戦略を伝授しよう。


◆私大文系学生は論理的思考能力が弱い!?
「私大文系の受験生には『学力の剥落』が起きている」――。2月下旬、元文部科学副大臣で、今年から史上初の東大・慶応大の兼任教授となった鈴木寛氏が私にそんな話をした。鈴木氏は昨年の参院選の後も私とお付き合いくださり、有料メルマガや外部寄稿の編集サポートをしている。件の言葉は、2月から始まったダイヤモンドオンライン(DOL)の連載の原稿構成をまとめたときの話。普段はあまり炎上しない鈴木氏の論考だが、大学入試改革をテーマに「私大文系の知識偏重と数学なしが問題」を提起した、この記事は珍しく、「いいね!」が4ケタに迫る反響だった。熱が入る余り紙幅が倍となり、編集部判断で二週に分けて掲載した(後半)。

※難問・奇問で名をはせる我が母校(wikipediaより)

“槍玉”に挙がったのは、まさに我が母校の歴史の出題。私自身も1浪した1994年は山川出版社の「世界史用語集」を、頻度1まで隈なく暗記した。記事では、早稲田等でマークシート型知識偏重入試が行われる背景の解説がとても面白いのだが、気になったのは我が身のこと。「知識偏重」の弊害があると指摘された数学なし受験生だった学力の軌跡だ。

鈴木氏の経験では、数学なし私大文系学生の傾向は下記のようなパターンがあるという。

本の読み方が「検索型」でキーメッセージやコンテクストを読み取れない

数学も出来ないので論理的思考力が鍛えられていない(論文や発表で論理の飛躍がある)

そして極めつけは「私立文系数学なし」志向が社会人になった悪例として、かつて私もやっていた新聞記者が挙げられている。しかも思い切り相当している(泣)

政策課題の背景や制度の意義について散々説明しても「一言でわかりやすく言ってください」と言われることが多々ありました

◆究極の「文系バカ」だった私
私は「灘高⇒東大⇒通産省」という鈴木氏のような明晰な頭脳は持ち合わせていない。ぶっちゃけ話、算数は小学生3年生で挫折した。分数の計算は出来るが、食塩水の計算問題はかなり怪しい。子どもはいないが、算数を教えられる親になれるか自信は全く無い。中学生の頃は文系科目の偏差値は60~70だったが、数学がいつも40台に低迷したため、進学校に行けなかった。だから大学受験で数学が無いことが分かって狂喜し、高校受験に失敗した雪辱も期して文系科目の成績だけが異様に向上した。高校1年の業者テストでは、数学が0点にも関わらず、英語と国語の点数だけで3科目校内2位という「伝説」を作り、1年浪人はしたが、六大学進学者が5年に1度いるかどうかの高校で早稲田、上智に合格した。

まれにだが、早稲田や明治の新入生のなかには私のように“一発逆転”した非進学校出身の「文系バカ」がいる。それなりの進学校出身でも早々に数学の勉強を放棄したために自信の無い人は多いはずだ。だから経済系や経営系の学部に行くと数学的素養が求められる必修科目があるので、苦労する。私も就活の際、SPI試験は手も足も出なかった。当時の新聞社は筆記で数学がほとんど出ず、内定が取れたのは幸運だった。

◆ちきりんに“ダマされるな”
しかし、そんな人生も今回の鈴木氏の記事を機に改めて反省した。文章作成能力は記者時代の職業的修練の成果で何とかなったが、ビジネスの世界に鞍替えした今は、統計データを読み解き、個人事業主として帳簿付けもする。論理的思考能力の修練が不足すると、マーケティングのプランニング、説得力のある企画書づくり、相手を論破する必要のある交渉事など、ことごとく苦労の連続だ。経済学も池田先生の記事などで通り一遍の知識は学ぶが、本質的な理解ができないため、リフレ派がなぜ危ないのか自分の言葉で表現できないのがもどかしい。

先々月、グローバルマチョ子氏が数学や理科について「7割の人は学ぶ必要がない」と主張して例のごとく炎上していた。が、よく読むと「数学的な考え方を理解することや、科学教育が不要だ、と考えてるわけではない」と但し書きをしている。数学的な考え方のひとつを論理的思考能力とすれば、彼女が常々「自分のアタマで考えよう」と提唱することに必要な素養である。

ちきりん
ダイヤモンド社
2011-10-28



◆「疑う」から始める「あほロアー」戦略
「あほロアー」戦略とは、自らを「アホ」と見つめ直し、優れたリーダーに追随・模倣(フォロー)するところから始める「生き残り策」だ。社会のIT化で、知識はPCに収納できるようになれば、知識を総合的に運用する思考能力が重視されている。おそらく大半の文系学生は会社員で社会人生活を始めるだろうが、ビジネスシーンでは、前例踏襲が効かなくなり、イノベーション的素養が要求される中では、数学の勉強をさぼったことで逸失した志向の鍛錬機会を自ら確保する意識は持つことをお薦めする。日常から思考を繰り返さねば、勝負どころで知恵は絞れない。

数字を見るのが嫌いであれば、たとえばロジカルシンキングやクリティカルシンキングといった思考鍛錬の本を読むのはいい。私は記者を辞めた後、ビジネススクールでクリシンを学んだが、そこの授業で私と同じ年とは思えない超頭のいい先生がいて、「疑うことは考えること」と強調していた。私立文系バカは暗記が得意な反面、無批判に情報を飲み込んでしまう「クセ」がある。そのことを自覚できただけでも有意義な学びだった。

最近出た本は知らないが、前述のマチョ子の本と、あと2冊をお薦めする。あとは、鈴木氏が言うように「書を読み、友や師と語り、仲間と事を為す」を主眼に実り多き4年間を過ごしていただきたいと思う。ではでは。



P.S ちなみに今度から締めの「ちゃおー」は辞めます。ブランディングに詳しい友人からの助言で、「見ていてイタい」そうなので。大人になるぞ。

新田 哲史
Q branch
広報コンサルタント/コラムニスト
個人ブログ