いうまでもなく、企業の使命は成長である。成長のためには投資をする。その投資のために資金調達が必要なのだ。もともと、投資銀行という言葉は、おそらくは、企業の投資を資金支援する、という意味なのだろうと思われる。もしも、投資銀行の本来の社会的使命が、資金調達を通じて、企業の成長を、ひいては経済の成長を、支援することにあるならば、積極的な資金調達需要の創造は、社会的に正しく望ましい行為だとも思われるわけである。
企業が経営上のリスクをとって投資したことが、結果的に成果を生まないとすると、そこに供給された資金に大きな損失がでることは止むを得ない。そこに、企業側の放漫もしくは安直な意思決定を見、同時に、そのような企業の資金調達を支援した投資銀行等の責任を認定することは、一見明らかな余程の悪質案件でない限り、結果を見ての判断であり、公平ではないと思えるのである。
ただし、これは難問である。本質的な論点は、企業の成長戦略の妥当性と、その戦略に対する資金調達計画の適合性にある。問題は、誰がそれを評価するのかということだ。どうやらそれは、少なくとも第一次的には、資金調達を支援する投資銀行等の責任だということにならざるを得ないようだ。
そこの評価を間違えると、投資銀行等によって危険な金融商品が作られてしまうのだが、そのような重要な社会的責任を、信用創造を行う金融機関の審査部門等に、本当に委ねてしまって良いのかどうか、委ねざるを得ないとして、そのようにして創出された金融商品を評価する投資家側の牽制機能が十分なのかどうか、作る側と買う側の情報の非対称性が完全に取り除かれているのかどうか、そのような極めて重要なことが、現在では、問題になっているのである。
一つ間違いなくいえることがある。金融の徹底した市場化によって、企業の資金調達需要と投資家の投資需要との間に、効率的均衡が実現するはずだという仮説は、ほぼ幻想に近いほどに、楽観的だということである。現実は、不均衡を累積させる結果を生んでいる。市場原理自体の一般的な効率性は否定できないにしても、現に、市場原理が有効に機能しない場合は、いくらもあるのだ。
さて、市場が機能しない場合の原因として問われるべきは、金融そのものの原理のなかで、市場化してはならないもの、市場化できていないものがあるのではないか、にもかかわらず、それらが市場化されてしまうが故に、定義により、市場が機能しなくなるのではないのか、ということである。そこで、金融の市場化を担う投資銀行の良識が問われることになるのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本紀行