かつて労働組合は左翼の中核であり、賃上げを闘い取ることが彼らの歴史的使命だった。しかし日本では、社会党も共産党も政権を取ることがないまま泡沫政党になってしまった。それは労働者が少数派だったからではない。彼らが左翼のもとに団結しなかったのは、彼らの生活を改善したのが左翼ではなく成長だったからだ。
しかしPikettyによれば、このように誰もが豊かになる時代は第1次大戦後40年ぐらいの例外で、今また世界的にも国内的にも富の格差が拡大しているという。マルクスは『資本論』でこう問う:労働者は法的には自由で、資本家と対等である。労働力と賃金は等価交換だから、そこから剰余価値が生まれる余地はない。資本家が労働者を搾取する不等価交換はどこから生まれるのだろうか?
マルクスは、労働の価値は競争で決まるが、労働力の価値はそれを再生産するために必要な労働時間で決まり、その差額が剰余価値になるという。この理論では、なぜ労働力にだけ価格メカニズムが働かないのかが説明できないが、労働力が絶対的に供給過剰になっている場合には成り立つ。大量に「失業予備軍」がいて、どんな低賃金でも働くとすれば、賃金も彼の労働力を再生産するために必要な生存最低水準に引き寄せられる。
これは先進国では非現実的だが、今でも多くの発展途上国にみられるので、グローバルにみるとマルクスの窮乏化論は当たっている。新興国の大量の労働者が労働市場に参入するにつれて労働は供給過剰になり、先進国の単純労働は新興国に代替され、その賃金は新興国に近づく。それにつれて(製造業より労働生産性の低い)サービス業の賃金も下がる。このようなBalassa-Samuelson効果で、日本のデフレはほとんど説明できる。
黒田総裁が誇るように失業率は完全雇用(自然失業率)に近い水準に下がったが、それは円安とエネルギー価格によるコストプッシュインフレで実質賃金が下がったからだ。2月の実質賃金は年率-1.9%と、黒田総裁になってから下がり続けている。インフレで賃下げが行なわれ、労働者から資本家への所得移転が行なわれているのだ。安倍政権の「賃上げ要請」は、富める者に富を分配するアベノミクスの本性をおおい隠すイチジクの葉である。
一時は資本主義とは無縁になったと思われた労働者の絶対的窮乏化が、いま新たな形で問題になりつつある。5月のアゴラ読書塾では、欧米で論争を呼んでいるPikettyのCapital in the Twenty-First Centuryをテキストにして、資本主義と富の分配の問題をみなさんと考えたい。